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展示会『JAM』に寄せて

 今日から 元映画館 というところで行われている、展示会『JAM』に参加しています。全然宣伝してなかったのですけど。
 わたしは小説を売るなどしているのですが、そちらに寄せて。売っているものの一部を公開してみます。
 ちなみにこの展示会は、写真の展示や弾き語りパフォーマンス、ショートフィルムなど、色々な表現の媒体が交差する場所です。予期せぬ出逢いがあり、交わりがあり、どこか遠くへ行けそうな気持ちになります。良かったらぜひ。

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 言葉は祈りになるけれど、呪いにもなるんだよ、って教えてくれたのは、誰だったっけ。
 たぶん小学校のクラスメイトだと思う。おまじないが流行っていて、きっとそれの一環で。顔も名前も思い出せない。その言葉を発した口元だけがわずかに記憶の底から浮かび上がってくる。そうだ、八重歯の子だ。八重歯がある子に憧れる原点は、こんなところにあったんだ。 
 あれからもう十年以上経つ。すっかり無邪気な子どもではいられなくなってしまった。当時は毎日何して過ごしてたんだろう、と思うくらい、あの頃のわたしにはできなかったこと、やらなくても良かったことをやり続ける日々だ。八重歯が可愛くて好きだった同年代の芸能人は、いつの間にか八重歯を抜いていた。やけに白く並んだ歯が照明に反射して、画面の向こうは全て作り物のようだ。珈琲で黄ばんだわたしの歯は、生活感に溢れて日常のど真ん中に居座っている。現実味を貼り付けた色をしている。
 同じ口から編み出される言葉なのに、重みは同じにならないことが不思議だ。同じ言葉を使っても、伝わる気持ちは同じになんてならない。言葉に込めた意味さえ、同じではない。名前も忘れちゃったけど、あの子の言う通りになったね。一言一句揃えたとしても、それは祈りにも呪いにもなれるみたいだ。
 わたしの言葉が、祈りとして届くことを願う。万人にとって祈りであることは難しいけれど、せめて、わたしの身の回りのひとにとっての祈りになればいい。間違っても呪ったりなんかしないから、安心して受け取ってほしい。わたしが呪うのは、今はもういないひとのことくらいだ。
 手始めに、一緒に話しませんか。
 人間はわかり合えない孤独を内に秘めているから、どうにかわかり合うために話すことが、根本的には好きなんだと思う。話し合って、受け止め合って、少しでも近づこうと歩み寄れたら、それはきっと祈りになれる。たとえどこにも届かなくても、じぶんの目の前で床に不時着してしまっても、祈りがあったことは消えない。この祈りを糧に、もっと高みにいくことさえできる。祈りはどんどん大きくなって、いつか世界を包み込み、宇宙にも届くだろう。
 わたしがまだ見ぬ貴方を待つように、貴方もまだ見ぬわたしを待っているはずだよ。こんなところで、はじめましてだけど、一緒に祈りをつくりましょう。

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WEB  http://jam-art.tokyo
TWITTER https://twitter.com/jam__art?s=21
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