2015.8.19ぬりえ
Tumblr再掲載ラストはTumblrに最初に載せたブログです。そんなこと考えてたっけな。あんまり覚えてないけど、このブログに出てくる「友人」というのは、あまり仲が良くないことははっきり覚えている。ていうか誤字してる〜。
2015.8.19ぬりえ
最近ふと、ぬりえって実はすごいんでないか ナメられんのと違うか と思いました。
きっかけは、友人が企画したワークショップです。女の子の顔や家や車など誰がみても、それと分かるシンプルでかわいらしい線画を用意し、来場者に色を塗ってもらい、それらと線画のもととなった原画(本人による着彩あり)を展示する、というものでした。
ぬりえ というと小さい頃遊んだ記憶が強く、簡単に見てしまいがちです。
しかし、誰がみてもそれと分かる線画 というのは、記号的な、いわば言葉としての名称の置き換えともとれ、そこに色を置くということは、各人のもつそのものの象徴をあらわしているともとれるのではないでしょうか。
「家」という言葉を通して、家というものを思い起こすことができますが、それは同じ「家」という言葉で表される、違う建物なはずです。
ぬりえの場合、線画があるために形こそ共通していますが、色という点でそれぞれの家が紙の上にあらわれているのだと考えると、ただの子供の遊びとナメることはできないな、と思ったわけです。
以前、言葉による共通認識の脆さ ということをテーマに作品を構想したものの、不発に終わったことがありました。この ぬりえについて考えたとき、ああ私のやらんとしていたことはこれだったのかと気付かさせました。
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ふだんは絵画を制作しています。
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