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匿名の私と実名顔出し星人

人というのはつくづく罪な生き物である。私にこんなオモチャを与えるとは…恐るべき中毒性を持つそれは、Twitter。
毎日毎日飽きもせず、次々と現れては消えるツイートを追いかけ、上から下へと流し読む。面白い投稿はリツイート。返事をしたり、いいねをしたり。

今のアカウントは一昨年始めたのだが、連絡を取らなくなって何年も経つ、リアルの知り合いと繋がっている方のアカウントは2010年に始めているから、かれこれもう10年選手になる。

古き良き2ちゃんねるのような、馴染みのバーにいるような…互いのことはそんなに深くは知らないけれど、なぜか推しメンや好きな食べ物みたいな微妙な情報は無駄に知っている。いつ来ても誰かしら見知った顔に出会える。何かを強制されるわけでもなく、嫌なら見なければいいし、誰かに会いたくなったらそっと覗いてみればいい。そんなつかず離れずの絶妙な距離感が陰キャの自分にはピッタリで、居心地の良さに胡坐をかいているうちに、気付けば10年という歳月が過ぎ去っていた。この間、英語か資格の勉強でもしていたら今頃億万長者だっただろうに、本当に時間をドブに捨てたと思う。

そんな陰キャの楽園ついったーらんどが、数年前から脅かされている。そう、実名顔出し星人の襲来である。

彼らは匿名のついったーらんどで自ら実名と顔を晒し、憑りつかれた様にフォロワー数を追いかけ、意識の高いツイート・役に立ちそうで役に立たないツイートを量産している。一部突然変異を起こしたアカウントの中には、周囲のアカウントに無駄に噛みつき、それによって生じた人の怒りを燃料に、フォロワー数を増やそうとするタイプの者もいる。

リアル社会の権威性を持ち出してマウントが取りたいだけなら顔本の森へお帰りよ、と思うのだが、Facebookをこっそり覗いてみるとお気持ちばかりのいいねがついているだけなので、どうも実名顔出しが通常の世界ではまともに相手をされていないようである。会社に居場所がなく、家に帰っても何とも言えない居心地の悪さと同居しているサラリーマンを彷彿とさせる彼らもきっと、ある意味Twitterしか居場所がないのだろう。
なんだ、私と大して変わらないじゃないか。大丈夫?おっぱい揉む?

フォロワーが多ければ反応も多いし、言いたいことがあった時に伝わりやすいというのは確かにあると思う。それでも、「フォロワー数=向けられた銃口の数」に変わりないし、周りばかり気にして言いたいことも言えなくなってしまったら。反対に、周りがイエスマンばかりになって、無意識のうちに制御不能になってしまったら。もうそこに自分はなく、他人にハンドルを奪われたまま暴走する、自分の意思によるコントロールの効かない車みたいなものなのではないか。

Twitterは最高に面白い。私達は自ら望んで生まれてくることはできないし、生まれた時にはRPGのキャラクターのように、基本的なスペックが決まってしまっている。後から手に入れることができるものもあるけれど、どんなに努力しても絶対に変えられないこともある。姿形・年齢・人種・国籍・生まれ、現実世界で人を判断する上で残念ながら1つの軸とされてしまっている、そうしたありとあらゆるものを越えて、交流できるのがTwitterなのである。

あのアカウントの中の人は、本当はどこかの国の大統領かも知れない。こっちの大人びたアカウントの中の人は、実は小学生かも知れない。
世の中で起こった一大ニュースから今夜の晩御飯のメニューまで。目の前のアカウントが紡ぐ言葉の中に様々な思いを巡らせながら、次々と流れてくる情報に身を任せ、無駄な忖度もなく、何気ないツイートの中に自分なりの新たな気付きを得て、また今日も昨日と変わらない1日が終わる。とても幸せなことである。

私が匿名なのは、自分が生まれ持った変えられないものや、後から手に入れてしまった肩書きみたいなもので、私という人間を判断されたくないから。ツイートややり取りが面白いから友達になりたい。一体、Twitterにそれ以上何を望むのか?

最近の実名顔出し星人たちのポジショントークには、正直辟易している。
プレゼント箱の中身が開ける前から見えてしまっているだけではなく、中身からして箱がやたらと大きいことに、皆そろそろ気付き始めている気がしてならない。

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