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キャリア志向の私が駐妻生活で心が折れた話(前編)

先日X(旧Twitter)でこちらの記事に出会いました。

アメリカ帯同妻が現地企業のフルタイムオファーを貰うまで|うえのるいーず @rui_mash #note https://note.com/rui_mash/n/n7e62c10b7502

この記事を読み進めるうちに、自分の話かな?と錯覚するほどに深くうなづきながらあっという間に読み終えてしまいました。

そして、るいーずさんに寄せられた反応をみて、意外と駐妻生活の辛いところって世の中に知られてないのかな‥?と思い、私も短いながら駐妻生活について振り返ってみることにしました。(Xにも宣言したので有言実行です!)


私が駐妻生活を経験したのは2018-2019年の1年3ヶ月。
帯同先は南米のチリ共和国という細長〜いあの国です。


チリでは、3ヶ月、ビーニャ・デル・マールという海沿いの街へ、
そしてその後首都のサンティアゴで一年ほど帯同生活を過ごしました。

チリの公用語はスペイン語で、ほとんど英語は通じません。渡航前はもちろんスペイン語をかじったことすらありませんでした。

駐在前は駐妻バラ色生活を夢見ていた私ですが、想像していたようなキラキラ生活ではありませんでした。

ただ、絶対にここで断言しておきたいのですが、チリに行ったことは120%(いや、それ以上?)言って良かったです。

仮に読者の方で、ご家族の帯同を迷ってる方がいたら、「絶対に絶対に行ったほうがいい!!」と背中を押したい気持ちです。

この投稿で誰かの勇気になったり、いま帯同中の方で、辛いなぁと思っている方の励みになったらこれ以上嬉しいことはありません。


スペイン語学習のモチベーションを上げてくれたチリ大学で。

孤独すぎたビーニャ・デル・マールでの生活

帯同する前は、とある外資系企業で営業職として働いていました。フルタイムの営業で、IT業界で働いていた事もあり、男性の多い職場でした。がゆえ、結婚して辞めるという選択肢が自分の中にはなく、夫の駐在が決まった時もいくのを迷っていたくらいでした。半年以上迷った結果、帯同をすることに決め、いざ引っ越した場所がビーニャ・デル・マルという町でした。

ビーニャ・デル・マールはバラパライソに隣接する海沿いの町で、人口30万人のこじんまりとした海風を感じられる街です。ビーニャ・デル・マールには、これといった観光する場所はないのですが(笑)バスで30分ほどにバラパライソというカラフルな壁画が有名な観光地があり、素敵な場所でした。


バルパライソはカラフルな家が立ち並ぶ、チリ有数の観光地の一つです。*2:UnsplashのLoïc Mermilliodが撮影した写真

最初の1ヶ月は日本人の知り合いもおらず、頼れるのは夫だけ。スペイン語もわからず、ビビり倒していた私は一日家の中で引きこもっている日もしばしば。スーパーや近くで買い物に行こうにも、スーパーの買い物の仕組みが日本と異なり、札は全てスペイン語で書いてあるし、レジに行けば、店員さんにスペイン語で捲し立てられるので怖くてお買い物もできず…。テレビをつけてもスペイン語で溢れ、不安と孤独で押しつぶされそうでした。

土日の間に夫がスーパーでの買い物の仕方を教えてくれ、2ヶ月目にはようやく一人でなんとか買い物ができる状態に。そして気分を変えるために海沿いへお散歩やジョギングもできるようになりました。

3ヶ月、スーパーと家の中を行き来する生活で、家の中では、スペイン語の教科書と睨めっこ状態。ほぼ夫しか話す人がおらず、今思えばおかしな精神状態になっていたかもしれません(笑)

煌びやかな都市、サンティアゴへの転居


その後引っ越しをしたのが、首都のサンティアゴ。

ビーニャ・デル・マールと打ってかわり、さすが首都のサンティアゴは高層ビルが立ち並び、ヨーロッパのとある都市と見間違えるような大型のショッピングセンターもあり、多くの人で賑わっています。


大きなビルの中にはショッピングセンターやオフィスが入居しており、近くにはマポチョ川が流れています。 UnsplashのCaio Silvaが撮影した写真です。*1

日本人も多く居住しているため、ショッピングなどの暇つぶしや、夫の会社のツテで教えてもらったスペイン語の学習塾とチリ大学の外国人むけのスペイン語コースに通うようになり、見違えるように世界が開けました。

塾やチリ大学での授業は毎日を鮮やかにしてくれました。日本人は1-2人しかおらず、韓国人、中国人、フランス人・ポルトガル人・ブラジル人・南アフリカ・中東の方など、本当に多様な国の方が同じレベルで「スペイン語を学ぶ」という共通の目標を持ってクラスルームに集っていました。

スペイン語塾でのクラスで。チリの記念日に合わせてクラスでパーティをしました

スペイン語の学習のモチベーションが上がることは元より、各国の文化などを見聞きしたり、ホームパーティで各国の料理を持ち寄ったりと、非常に充実した、刺激的な毎日でした。

今思えば、ビーニャ・デル・マールでも学習塾に通えば良かったのですが、なぜかその発想が全くなく、その頃の私に「引きこもってないで学校でも行きなさい!」とアドバイスをしたいです(笑)

そうして刺激的な毎日を過ごしていると、ふとやってくるのです。

そう、「アイデンティティ・クライシス」です。帯同前はバリバリフルタイムで仕事をしていた自分が、ここチリでは仕事もなく、お金を自ら稼ぐこともできず、「私ってなんのために生きてるんだろう・・・?社会にとって価値がない人間では」と思えてきてしまいました。

働いてないからいけないなんて、今思えばおかしな発想ですが、
仕事を辞め、当時は子供もおらず、現地で不妊治療をしていたこともあり、喪失感でいっぱいになりました。(現地での不妊治療の話はまた後ほど)

「社会とのつながりのない、仕事のない、価値がない」という想いにがんじがらめになり、家で夫に当たってしまったり涙を流すことも。(夫はいつも冷静に受け止めてくれました。(n回目の感謝!!)

チリは北には砂漠、南にはパタゴニアがあり、隣国にはペルー、アルゼンチンとあり、旅行紫外のある場所がたくさん。

遊びに来てくれた友達との旅行や学校生活で何とか気持ちを紛らわし、サンティアゴで一人でカフェや市場、行ったことのないスーパーへ出かけたりと気持ちを紛らわしていました。

パタゴニアの夕焼け。雄大な自然に心が洗われます。

このアイデンティティ・クライシスの状態は日本に帰る前まで、全く無くなることはありませんでしたが、二人の出会いが私の駐妻ライフを変えてくれました。(後編に続く)

*1: UnsplashCaio Silvaが撮影した写真
*2: UnsplashLoïc Mermilliodが撮影した写真

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