申命記8〜11章
今日は夜中にぱっちり目が覚めて、
寝つけなくなってしまったので思い切って起きて、夜明けを感じることにしました。
日々こわれた罪ある世界も夜明けには寝静まっていて、空の動きがより感じられる。神様の創られた世界を感じられる。
朝日に染まる雲と空はサーモンピンクやオレンジ色であまりにも美しい。
今日は申命記8を11章を読む。
モーセが、イスラエルの民に神様と民の関係、神様を畏れ掟を守りなさいということを繰り返し語られる。
荒野での民の逆らい、不平不満。
荒野の旅は神の試みである。人間は試みてはいけないが、神は私達を試みられる。それは、人間がどれだけ信仰があるかを見るのではなく、人間が自身の信仰と罪に気づくためである。心の内を知るためである。
荒野の旅は苦しいと思われたが、実際あしも腫れず着物も擦れなかった。マナがもたらされ、約束の地は雨がふり、実り豊かな乳と蜜が流れる土地。
その土地で不自由ない生活となっても自分の手柄にしてはいけない。主を忘れてはいけない。
アナク人を滅ぼすとき、民は主を信じなかった。
主が追い払うのは!イスラエルの民の方がただしい、立派だからということではない。ただ、バアル信仰や数々の悪慣習をしていた民族をご自身が選んだイスラエルの民から追い払うため。ただイスラエルの民を愛してるからであり、高慢になってはいけない。聖絶は主が主の契約にしばられて行われることである。
モーセは山頂で40日断食した。主が石の板に書き記した十戒が守られず、民の目の前で打ち砕き、また40日断食をし、主に祈った。主は許され、やり直しのチャンスをくださる。私達は異邦人を愛し、寡婦ややもめの権利を守り、心を尽くし、魂を尽くして主を愛することが必要。
主の掟を子どもに常に言い伝え、門のはしらにも刻むべき。
神様について分かったこと
神様は約束を守られる。やり直しのチャンスを与えてくださる。偶像礼拝は絶対的な罪。神様のみことばはすべて人間の幸せにつながる。
人間について分かったこと
当たり前の幸せや奇蹟を見過ごしてしまう。
すぐに自分の手柄にしてしまう。
印象に残ったこと
神様が、試練を与えるのは、神様がどれだけ信仰あるかチェックしたいからではなく、人間が自分の心の内を、しり、その罪を認識するためであるということ
とりなしの祈りについて
言い訳をするのではない。人間の罪は大前提として、主ご自身の視点で祈ること。
適用
心を尽くし魂を尽くし神様を愛すること
どんな日常においても、主への感謝を心から持つこと。それが謙虚さ、他者への愛、優しさにつながる。
今日も主のみことばを覚え、その恵みが、豊かに流れていきますように。