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「死んださかな」になるまでのお話(その①)

こんにちは、きゃぽです。

前回、絶妙にあっさりした自己紹介だったので、もう少し深堀りして自分語りをしようかと思います。

ちなみに、初めましての皆さま。偶然か必然か…こちらの記事に出会って下さり感謝です。「どんな人間か見てやろうぞ!」という心優しき皆様、前回の記事に軽く自己紹介しておりますので、ぜひそちらも見てやってください。(前回の記事はこちら↓)


さて、今日はタイトルにあるように、死んだ魚になるまでのお話をしていこうかなと思いますが、しかしながら、恐らく今回では死んださかなの目になるところまでいきません!!笑(ごめんなさい!🙏)

「しゃぁないなぁ…。付き合ってやるよ」というそこのあなた…有難うございます。ではではそのまま下へスクロールしてくださいね。

好きに真っ直ぐだった保育園~小学校時代

振り返ってみると、昔から好きな事にはまっしぐらだったなぁと思う。保育園時代は放牧地を姉と探検して楽しんでたし。小学校の好きな教科は国語・理科・社会。新しい知識が増えるって楽しかったし、ハリーポッターはホームルーム後の朝読書じゃ物足りず、学校の机に入るかギリギリの分厚い初版のハードカバーを休み時間めいっぱい読んでた。あと絵を描いたり短距離走も好きだった。今と違っていい意味で強気だったし、「名前も成績(スポーツ含む)も2番目はイヤ!!」という気持ちが強くて。今思えば凄くじゃじゃ馬だった笑

中学で味わった違和感と不安。そして「嫌われないように合わせて過ごす」こと

中学では、なんか知らんけど部活で差をつけたり、よく分からないいじめが発生したりを身近で感じてきた。小さな町だから女子がやる部活と言えばソフトテニス部か吹奏楽部かバレーボール部か…みたい感じ。んで、私が入部した吹奏楽部は個性が強いと言えば聞こえはいいけど、周りからあんまり好意的に見られていない先輩方がいる部活って感じだったんよ。その時には、部活で優劣なんか意味無いと思ったし、保育園や小学校6年間も一緒だったのに何で傷つけるんだろ?同じ部活同士の同級生でも仲違いして大きな亀裂を見てきた。私はいい意味で傍観者だったと思うな。嫌われたく無い気持ちが強くて、当たり障りなく過ごしてたと思う。でも中学でも強気な感じはそのままだったから、後で見返してやる精神だったかも。自身のマイナスの気持ちが色々な原動力になってたんだと思う。

高校で感じた自分の限界と敗北感、そして挫折

多分人生で一番の挫折というか敗北感や屈辱感みたいなものも感じた気がする3年間だったような。。。凄く小さな町に暮らしてたし、別の市町村で仲の良い友達みたいな子もいなかったから、同級生が40人→120人、学校自体も100人程度→400人になる事は自分にとって結構ハードル高かったな。第二次成長期ならぬ、第二次友達づくり大作戦!って感じ。良くも悪くも多様な人達との出会いが一気に広がって人間関係って大変だなと改めて感じさせられた。

楽器変更事件、同級生の次期部長争い、パートリーダー事件、グループ問題…。思えば色々あったなぁ。

頭の中に色々な出来事が浮かんでは消えを繰り返す中で改めて感じたのは、私自身、分離断絶や争いは好まないという事。

よく性格診断とかで「博愛主義者」とか書かれるんだよね。笑

恐らく「全てはひとつであること」を自然を通して感覚的に持ってるから、差をつけたり、違いをジャッジする人間っぽいものは、どこか無意識で違和感と感じているのかもしれない。(自分も人間的感情めちゃめちゃあるんだけどね)

まぁ私がそこらへん、どんな認識なのかはまた別の機会に深堀しつつ書いてみようかな。


さぁ~て、来週のサザeさ……

ではなく、きゃぽの死んださかなストーリーですが…。

次は大学編、そしてようやく社会人編に突入予定です。やっと死んださかなの目になるところまでいけるんじゃないかな?知らんけど。

なんか…書けば書くほど話がまとまんないし、自分ですらこれでいいのか??と不安に分からなくなってくるけど、書いてく内に色々見つかる事でしょう。(もう少し書き方も覚えた方がよいかもしらんね)

よし、したら期間限定のパルム(キャラメルパンプキン)を食べてゆっくりする事にします。ではまた!!

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