台本のない人生について

 台本は一切ございません、とは齢24歳の私からすると青春を彩るワンフレーズである。

某リアリティショーでは各々夢を追う男女6人が共同生活を繰り広げ、番組の目玉はその上で"芽生えてしまう"恋愛模様であった。

 そんな番組の性質上、時にはデートをしたり、手を繋いだり、キスをしたり、付き合ったり、視聴者からするとどれだけ肉厚なエイヒレよりも酒のつまみになる刺激的なシーンが目玉で、それがやらせなのでは?!とネット民が騒ぐまでが一連のムーブとなっていた。

 やらせなのか本気なのか、それは今となっては問題ではない。

 人生には台本がない。

それが、今となっては問題である。大問題だ。

 義務教育を受けて、そこからそれぞれに時を過ごしながらも若さを免罪符にそれなりにやっていけた。その免罪符は大人になると社会から抹消されてしまう。
 大人になるということは、人生の台本を自分で書いていかなければいけなくなるということである。

 人生には台本がない。CV: ジャングルポケットの斎藤さんで「だから面白い」と言いたいところだが、現実はだからこそ辛く、酷い。
 予測不能なことがすぐに起きるし、良さげな人がいたところで手すら繋げず、ましてや連絡先すら分からずおわったりする。結婚すると思っていた人とは赤の他人になったり、好きな上司が突然いなくなったり、通っていたお店が潰れたりもする。

 いっそ、台本があったなら。そう感じることが人生には多すぎる。

 その度傷つき、嘆き、凹み、YouTubeをただダラダラ観るだけの生産性のない夜を過ごし、朝日を見て絶望する。

 同じように、自分も人を傷つけたり、次の日「ああ記憶を相手から消せたなら」と思うようなことを言って、積み上げた信頼を粉々にしてしまったりする。

 それでも人生は続いていく。それでも朝は来る。

 死にたい眠れない、そんな朝を迎えた人について思いを馳せながら、自分を重ねながら。

 台本のない人生がいつかハッピーエンドに繋がることを願いながら、日々を消費していこうと思う。


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