バーチャルアバターの販売を『人身売買』と表現する意見についての私見
アバター販売が「人身売買」と聞いて、即否定した。
自分自身Vtuberを応援したり、ネット上でも周囲にVR関係で頑張っている人たちがいるので、肯定するわけにはいかないしできない。
まず、件の言葉を見て思ったのは「では、作り出す方はどうか?」ということだ。人体錬成、産む、創る…様々に表現はある。
しかし、大事なの生まれ方よりも人権や人格。
そして、それをつけるのは購入者や使用者、Vtuber。
だから、根本的に人身売買という表現は合わないと感じた。
アバターやモデルがあり、それを使う人間がいる。
そして、そうすることによって、アバター・モデルが自身の肉体であるという意識が、魂が芽生え、バーチャルにおいて、人を人として再構成させる。
現実の世界でいえば「ものごころがつく」頃の感覚が近いだろうか。
物質的な「肉体」というものでしか、人を人間として見れないのであれば、それこそ人権や人格の否定になってしまうし、するべきではない。
バーチャルにおいてもそれは変わらず、実際にアバターを使う人間が、演じる人間がいてコミュニケーションをとる人権や人格を否定することはできない。
その上で、アバター・モデルの販売を人権を無視した「人身売買」という行為と同じだというのであれば、おかしな話だ。
例えば、前述のようにモデルを使用している相手に人権や人格を否定するような行為であれば、人身売買という言葉は適切ではないが、他の言葉でそれを表現するならばわかる。それは人が他者を否定しているのだから当然だ。
だが、今回の場合それを「アバター・モデル」というものに適用しようとしている。
アバターのみでは「魂のない身体のみ」状態
魂のみでは「魂だけで身体がない」状態であり、どちらかが欠けている状態では、バーチャル空間では、その両方がなければ、件の発言者が言うような「承認欲求のため」という点に関して言えば、優位性・有用性を持っての行動はしにくい。もちろん女性型であろうとなかろうとだ。
そして、特にVtuberというコンテンツでいえば、両方が揃って初めて「バーチャル(実質的)人間(見た目はどうあれ)」=Vtuberとして人格・人権を持った存在が確立する。そうなって初めて、人格や人権の話になる。
魂や演者のみならまだしも、モデルのみについて「人身売買」という言葉を適用させようとする行為についてはこれで否定ができると思う。
(根本的に「物」に適用させようとする時点でおかしいのだが。)
しかし、最大の問題はVtuberやVR業界に関わらず、自身の知らない文化に対して、過激な言葉を使って攻撃するという行為である。
特に犯罪行為にあたるわけでもないのに「人身売買」などという言葉使って、他者の趣味・趣向を乏しめる行為が良しとされるわけがないし、そんな人間が人権や人格を語ることが許されるとは私は思えない。
自身の思想のために、楽しみ、努力し未来に進んでる人間を犯罪者のごとく表現し、引き合いに出すことは、無関係な人間にもいらぬ誤解を招くことにもつながる。
反論もあるだろう、別の視点からのアプローチもあるだろう。
だが、新たな世界で、新たな生き方を見つけた人間や、未来に生きる人間の邪魔をするべきではないということはハッキリと言わせていただく。
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