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物語の型の一種である「悲劇の構造」について。──やっぱり、主人公が持った「願望」や「必要性」がメインプロットを引っ張るべきであるということ。
「ブレイク・スナイダー・ビート・シート」でもいい。
「ダン・ハーモンのストーリー・サークル」でもいい。
そして、古式ゆかしい「悲劇の構造」でも、何でもいい。
けど、どんな物語構成でも主人公は序盤でなんらかの「願望」や「必要性」を持つべきだというのが大きなお約束みたいだ。
僕たちの作法
僕たちの、坂本企画の作劇法は、シンプルだった。
「ブレイク・スナイダー・ビートシート」や「ダン・ハーモンのストーリー・サークル」といった有名どころの構成法に比べて、構成要素も少ない。
それにそもそもがギリシャ悲劇の分析から生まれた方法論なので、いささか古めかしいと思う。
でも、その古さ、シンプルさがある種の「堅牢さ」になることも僕は知っている。だから好んで使っていたのだけれど、いまは別の構成法をよく使っている。
一昨年からライターズルームに参加して、そこで脚本の共同開発をするようになってからは、そこのおすすめの構成法に体を慣らしている。
その方がお話ししやすいからね。
「悲劇の構造」
でもここは僕のフィールドだ。
これから書き続けるために、そして読み続けてくれる人のために、僕たちの「悲劇の構造」をおさらいしておこうと思う。
僕のためのメモも兼ねて。
①主人公は、ある願望を持つ。
それは強い願望であればあるほど良い。
世にはびこる悪を倒したいなんてヒーローじみたものでも良いだろうし、甲子園に行きたい! あの人に愛されたい! 何でもいい。
ヴォネガットが言うように、「たった一杯の水が欲しい」といった身近だけれど切実なものもいいかもしれない。
②主人公は、その願望の成就のために頑張る。
すごく頑張る。
ほんとうに、ありとあらゆる方法を使う。
時には、人としての分を超えたスーパーパワーをも振るう。
まぁ要するに、一見不可能に見えることを知恵と勇気でなんとかやりこなすということだと思う。
③しかしあるとき主人公は気づく。
自分が願望成就に向かえば向かうほど、本当はその願望成就からは遠ざかっていたことに。
はびこる悪を倒すために修行に修行を重ね、悪者どもをなりふり構わず薙ぎ倒しているうちに、自分がどんな悪をもしのぐほどの巨悪になっていた……なんてのは実によくある話だ。
野球がうまくなりたくて、がむしゃらな練習を重ねていたら、自分の肘は限界を迎えていた。
恋人をもっとよく理解したくて迫っていったら、鬱陶しがられてフられた。
いくらでもそういう構造のバリエーションはあり得る。
ここが、悲劇が悲劇たるゆえん。
僕たちが「劇的な瞬間」と呼ぶ気づきのシーンだ。
ここで言う「劇的」というのは、現在よく使われているような「衝撃的な」というだけの意味じゃない。
自分の頑張りが完全に裏目に出ていたと主人公が気づく「価値観の転倒」を意味するんだ。
ここで気がついたと思うんだけど、これは「悲劇の構造」であると同時に「喜劇の構造」でもあるわけだ。
それは、物語を内側から楽しませるか、外側から楽しませるかの差でしかないみたいだね。
しかし、僕らの「悲劇の構造」はここで終わりじゃない。
ある意味救いになる4つめのパートがある。
④絶望に打ちひしがれる主人公は、しかし、頑張ってきた結果身についたスーパーパワーを一度だけ使える。
その結果、自分にとってはもう意味のなくなった最初の願望を違う形で叶える。
身につけた力ですべての悪を倒し唯一の巨悪に成り果てた主人公は、自分が倒されることで地に平和をもたらすんだ。
実によくみる、しかし堅牢で確かな物語だと思う。
肘を壊したかつてのスーパーエースは、やがて教え子をオーバーワークから救い、甲子園に連れてってもらう。
辛く不器用な恋愛経験は、娘を泥沼の恋愛から救うことになる。
すべてが無駄ではなかった、というわけだ。
いくつもない物語構成法
ここまで僕は書いてきて、そしてあなたは読んできて、あぁ、と思うかもしれない。
あぁ、これは自分が知っている物語構成法の亜種でしかないな、と。
もしそういう感想を抱いたとしたら、それはまったく正解だと思うんだ。
①番の「主人公はある願望を持つ」というのは、要は「ブレイク・スナイダー・ビート・シート」でいう「きっかけ」のことだな、とか。
あるいは「ダン・ハーモンのストーリー・サークル」でいう「②何かを欲する」のことだな、とか、そういう風に思えるよね。
あらゆる物語構成法は、別の構成法の亜種でしかない。
それは、物語、というものが、誤解をおそれずに言えば、たった一種類、ただ「物語」でしかないということの証明だと思う。
実際は、もうちょっと話は込み入っていて、「物語」が一種類しかないというのはさすがに無理があると思う。
思うんだけれど、僕らが素朴に考えていたより、「物語」の型はずっと少ないということは確かだろうね。
物語の序盤〜中盤で絶対にやるべきこと
さて、ようやく本題だね。
というか、もう結論は見えたも同然なんだけど。
つまり、「願望」、「必要性」……二つ合わせて、僕が「やむにやまれぬ望み」と呼ぶことにしているそれは、やっぱりどう考えても、物語の大半を引っ張ることになると思うんだ。
いわゆる、主人公が「奮闘」すべき「メインプロット」を。
願望成就のための営為こそが「メインプロット」だと言ってもいい。
ということは、願望成就を阻むものが次々と立ちはだかると、お客さんは楽しめるということなんだろうね。
迫り来る敵を苦労しながらも知恵と勇気で薙ぎ倒していく。そのヴァリエーション。
課題
そう考えると、具体的に、その迫り来る敵がどういうものがいいかが、僕にはまだ勉強が足りない部分みたいだ。
実にいつもここで詰まる。
敵が弱い。
障壁が低い。
そういう欠点が僕の脚本にはあると思っている。
まさに、新作『ある惑星年代記の再開』のメインプロットの敵たち、主人公に立ちはだかる障壁たちをどう作るか。
そこを明日は考えていきたいね。
今日のまとめ
・「きっかけ」の機能とは、主人公に「やむにやまれぬ願い」を抱かせること。
・「メインプロット」の機能とは、その願いの成就のためのありとあらゆる努力を見せること。
・願望成就のための営為をアクション(行動)で見せるため、外面化された敵、障壁があることが望ましい。
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![坂本涼平](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169135074/profile_f5234ebeb810d4699767be02416bb55c.jpg?width=600&crop=1:1,smart)