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「新人賞ハック」──評価者にコイツを推してもいいという言い訳を作らせてあげるということ20250203

※20250204 終わりの方に改稿あり

趣味で短歌を詠んでいるんだけれど、そこにも戯曲と同じように賞レースや文壇があって、多くの人が何かに認められようと日々研鑽を積んでいたりするんだ。

で、X(旧Twitter)で「新人賞ハック」という言葉を目にした。
どういう言葉か、なんとなくはわかる。
という印象の話を今日はしようと思うんだ。


つまり、賞の仕組みを解析して自分の作品に反映させて受賞しやすくすること。
自分の作品を評価する人がどういう人か調査・理解して、作品を評価しやすい(「されやすい」とは少し違うと思う)設えにする、ということだと思う。

一方で、そういう評価しやすさを仕込むことで、力押ししたい部分(自分の独自性とか)を納得させるだけの理由を評価者に持たせる戦略というか、なんかそういうことだと思うんだ。

精緻に言語化するのはむずかしいし、だから「新人賞ハック」という言葉が優れているんだろうけど。

いま、僕が(短歌でなく)戯曲でしなければならないことはこういうことなのではないかと思う。
劇団の延命のため、自分という作家の延命のため、なんらかの外側からの評価がいる時期なのかもしれない。
また、ライターズルームで売れる商品を作るということを考えた時、「消費者ハック」と言ってもいい作法がまさに求められているかもしれない。

好きになってもいい、知り合いとの話題に出してもいい、そんなエクスキューズを持たせてあげる。
それが、僕が「新人賞ハック」と言う言葉から連想することだね。

実際はどうだろうか、検索したところ、まだ用例が少ない感じだから、しばらくしたらこの所感があってるのかどうか答え合わせをしたいな。


さて、ここから先は嬉しいことに読んでくれた人からコメントをいただいて書き直した部分だ。
書き直す前の文章も文末に残してあるので、よければコメントと一緒に見比べてほしいな。

◆◆◆書き直し部分◆◆◆

ああ、ちなみにこの文章では、けっして既存の賞や選者をバカにするつもりはないんだ。
この文章を書いている途中で、戯曲であったり小説であったり、とにかく何らかの賞の選者をしている知り合いの顔が浮かんだ。
その人たちが、この記事を読んでくれたとして、少し気持ちが曇るかもしれないなと思ったことについて補足がしたい。

前提として、もともと見かけた「新人賞ハック」という言葉の使われ方は、「ハック」することが悪いと言っているのでは全然なくて、むしろ業界研究としてまっとうなものだと言っていると思う。

それはそうだと僕も思う。
相手を知ることは必要だ。
しかし、それとは別に、僕自身は「ハック」と言う言葉にすこし抵抗がある

ここが重要。
「新人賞ハック」と言う言葉を生み出した人のスタンスは、「ハック」対して全面的に肯定的だと思う。
一方、その言葉を知った僕のスタンスは、少しだけもやつきをはらんだものだ。
そこをきっちり分けて書けなかったことが、最初の稿のいけなかった部分だと思う。

僕はなぜ「新人賞ハック」にもやつくのか。
もちろんそれは、僕が「ハッキング」的な、悪い改変という意味合いでの「ハック」の語感から自由になれていないせいでもあると思う。
僕は「ライフハック」なんて言葉が広まる前から生きてる、ちょっと昔の人間なんだ。

だから、これはもしかしたらほんとうに言葉尻の問題かもしれない。
僕は、「ハック」という言葉に、解析・工夫・改善・効率化といった、ともすれば対象への「操作」的なニュアンスを感じている。
そういう攻略法めいた視線を、賞や、その後ろにいる選者という生身の人間に向けることへの抵抗感がもやつきの正体かもしれない。

僕の知ってるあの人が「ハック」されたくないな、という気持ちだ。

そして僕自身は「お前はこうすれば喜ぶんだろ」というコミュニケーションの高効率化をあまり喜ばないタイプ人間なんだ。

現代では、「ハック」という言葉に、僕の言う様なほんのりした失礼さ、言い過ぎてもよければ悪意、のようなものはあまり乗っかっていないのかもしれないね。

僕が選者側になることなんて考えもしないことだけど、実際、僕がもし仮に選者の側に立ったら「ハックなどされてやるものか」という気分になるような気がする
なにか、応募者の努力に対して、こちらもゆるぎない視座で応じたいと思うかもしれない。
それがどういうものかはわからないし、わからないから選者には向いてないんだろうけど。

でも、文学というのは詰まるところ人の心を操ろうとする営為でありうるわけで、読み手である以上、選者もその例外ではないと思う。

だから多少語感が気に入らなくても、実質として、言葉が指し示している行為として「ハック」はされていいはずだ、とも思う。
その点で、「ハック」を肯定したり、「ハック」することで賞を手に入れたりした人を否定するつもりは一切ない。

いっそ、「ハックされるものか」、「いやハックして賞をもぎ取ってやるぞ」という追いかけっここそが、賞なり、業界なりを豊かにするものかもしれないね。
コミュニケーションってそういうものだし。
賞レースもコミュニケーションであってほしいのは、本当にそう思うのだから。

◆◆◆書き直しここまで◆◆◆

◆◆◆書き直す前の文章はこちら◆◆◆

ああ、ちなみにこの文章では、けっして既存の賞や選者をバカにするつもりはないんだ。
むしろ、問題になるのは賞のシステムを「ハック」する側と言えるかもしれない。
でも、文学というのは詰まるところ人の心を操ろうとする営為でありうるわけで、読み手である以上、選者もその例外ではないと思う。

僕が選者側になることなんて考えもしないことだけど、もしなんらかの評価をする立場に立つなら、うまく「ハック」されないような確かな視座を持ちたいと思うね。
それがどういうものかはわからないし、わからないから選者には向いてないんだろうけど。

◆◆◆書き直す前の文章終わり◆◆◆

おそらくだけど、書き直す前の

「問題になるのは賞のシステムを『ハック』する側と言えるかもしれない。」

という部分が、よくない部分なのだと思うんだ。

「問題になるのは」という表現を、「話題にしているのは」とか「議題にしたいのは」と言えばよかったのではないかと思っている。

つまり、賞や選者側をバカにしているのではなく、むしろ、この記事で話題にしたいのは「ハック」する側のことなんだ、と言いたかったのだと思う。

これについてはコメントをいただけて本当に良かったと思う。
おもしろい、といっては無責任に過ぎるかもしれないけど、貴重な経験をしたね。

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坂本涼平
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