「ゆとり自分に慣れるな」【2021年10月20日】
こんばんは。
ここ数日最低でも9時間睡眠を確保しているかぐやです。
今日の振り返り
今日は高校時代の友人2人と大学の友人の4人でカレーとナンを食べにいって、カレースパイスを購入しました。
体育教室で子どもたちの課題と一緒に向き合って帰りには「yohaku」(友人の開く居場所)にいってご飯を食べ、久しぶりにギターを弾きました。
昨年度から休学して音楽活動を始めた友人、フクタローも来ていて演奏してくれました。
あの空間で過ごす時間は豊かだなと思います。
そんな居場所をつくってくれているみかさんにも感謝。
ゆとり自分に慣れるな
さて。
最近の僕はエネルギーはあふれていますが、その分やることの質が高まったり生産性の高い日常を過ごしているのかと言われたらそういうわけではありません。
1年前の自分とは大きく変わりました。
1年前の自分…学生団体を立ち上げ、教育実習に行きながらバイトや1on1で対話会をたくさん開催し、卒論も書き始めるという超絶多忙な時期でした。
でもそれでも疲弊することなく(楽しいから)乗り切っていったわけですが…
今年の2月ごろからそんな「隙間を埋めたい症候群」の自分と向き合い始めて早くも8ヶ月くらいが経とうとしています。
自分と向き合い、ゆとりを持つことを経験する期間を設けたり、余白をつくることがどんな影響を与えるのか、また逆に余白を埋めていくことがどんなプラスやマイナスの影響を与えるのかということを感じながら生活してきました。
そしてたどり着いたのが今の余白ある生活です。
やっていることは事業にバイトの掛け持ちに居場所づくりのための勉強会や哲学対話会と数を見たら少なくないように思えますが、それでも中高時代や昨年度の自分と比べたら比べ物にならないくらいゆっくりしています。
その分、イライラすることも減り、身体の調子はよく、「疲れタァ!」とぐったりなることもほとんどなくなりました。
でも、こうして“陽と陰”を体感していく中で、今の自分に満足しているのでは、つまらないなと感じるのです。
それは2月に向き合い始めた時と同じ感覚です。
この生活でいいのかな?
今の詰め込み方は本当に豊かなのかな?
今のゆとりは本当に豊かなのかな?
そういった疑問を自分に投げかけることでそうではない自分に出会い、そして新たな発見を積み上げていくことができます。
今の自分にはゆとりはありますが、向上心は少なめです。
それがいいとか悪いとかではなく、この自分をじゃあどうしていくのか。
日々楽しいだけで過ぎていくのも悪くないが、向き合うべきところはあるのではないか。それがちょっと見えてきました。
具体的にはチームで進めている事業3つ。ここはもう少し自分なりの役割を発揮すべき時なのかなと思っています。コミットしている時間が少ない。ここは増やしていきたい。
休学してからの自分の活動についてまとめたものがないので後日noteで書こうと思いますが、時間の使い方を客観的に見つめてみようと思います。
睡眠時間は十分すぎるので起きた直後の使い方とか隙間時間の使い方とかタスク管理とか生産性でカバーするもの、時間をかけるものをなんとなく明確にしていくのが良いかなと。
「ゆとり自分に慣れるな」
かといってゆとりは忘れないでいい。そんなことを考えた夜です。
それではおやすや〜。