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パンデミック・ウォーズ(第3話)ついにワクチン接種が始まった!アンチワクチン派を撃退せよ
第3章 ワクチン
世界に遅れること2か月、日本でもようやくワクチンの接種が始まった。
欧米各国はいち早く接種に乗り出したというのに、日本のスタートが遅れたのは厚生労働省の落ち度とも言えるだろう。臨床試験をやり直すなど、手間取ってしまったせいだ。
とはいえ、接種可能になったことは喜ばしいことだ。ワクチンこそが人類が感染症と戦う最大の武器なのだから。
規定ではワクチン接種を受けられるのは12歳以上。5月生まれの僕はギリギリOKの年齢だ。当然、接種を希望した。
発達障害で定期受診している帝浜総合医療センターがワクチン接種会場に指定されたこともあり、定期受診のついでにワクチン接種を受けることにした。
そしてついにその日がやってきた。
病院のエントランスを入ると、早速ワクチン接種会場の案内が目に飛び込んできた。コロナ禍で患者たちが受診を控えてしまい、ロビーは閑散としている。患者よりも接種希望者の方が多いように見えた。
母さんが受付に座っている女性事務員に2名分の予約券と問診表を差し出すと、事務員はそれを受け取り、うつむいて何か書き込み始めた。
女性事務員はマスクをつけていて、表情がわからない。しかし眼輪筋がまったく動いていなかったため、何の表情も浮かべていないのだろう。
「これを持って、あちらで座ってお待ちください」
事務員に手渡された書類を持って、指示された方に向かった。
ロビーには同じ椅子がずらりと並べられ、数えきれないほどの人々がすでにこちらに背を向けて座っていた。
これだけたくさんの人がいるのに、会場は静かだ。感染対策で誰も一言も話さない。マスクをつけ、みんな黙して座っていた。
「あそこが列の最後みたいね。座ろう」
母さんが視線の先を示した。
「副反応ってどんなのかしらね」
母さんが少し周囲を見渡しながらつぶやくように言った。
母さんの声にはどことなく好奇心も混じっているように聞こえた。接種後に具合の悪くなった者はいないか、探しているつもりだろうか。さすがにこの会場で副反応を呈する者はいないだろう。ここで何らかの症状が出るとしたら、それは副反応ではなくアレルギー反応だ。
昨日母さんは、副反応対策として様々な物品や食料を買い込んできていた。
白地に青の模様が入った小さな箱をエコバッグから取り出し、ダイニングテーブルに並べながら、母さんが言った。
「パブリン3箱、アイスノンに湿布。お母さんがダウンして家事ができなくなったときのために、レトルトカレーや冷凍食品も買い込んじゃった」
母さんがいつものドヤ顔でダイニングテーブルの上に鎮痛剤の箱を並べていく。
「これ1箱80錠入りでしょ? 3箱で240錠。オーバードーズでもするつもり?」
僕はパブリンの箱の表示を確かめながら冷ややかに言った。
「まあ駆、怖いこと言って!」
母さんが僕を睨みつけた。
「いい?ワクチン接種は1回じゃ終わらないわ。たぶん、追加接種が必要になるはずよ」
さすが母さんだ。読みが鋭い。僕も世界の感染状況を眺めていて、1回じゃ済まないと思っていたのだ。
母さんの不謹慎さにはちょっと腹が立つけど、副反応に対してこれだけ準備万端にしてくれるのは心強い。僕は何ら心配することなく会場に向かったのだった。
僕たちが今から打とうとしているのは、アメリカのサイザー社のワクチンだ。今、コロナのワクチンは主に2社の者が使われている。モダルナ社とサイザー社のものだ。人々はどちらの製薬会社のワクチンがいいか、ネットで情報を収集したり、互いに打った感想を話し合ったりしていた。
ワクチンの副反応として、発熱や倦怠感、頭痛、筋肉痛が出ることが知られていた。ワクチン接種はまだ始まって間もないため、国内でどのくらいの割合の人に副反応が現れるのか、まだ信憑性のあるデータは出ていない。
僕はアメリカ政府とサイザー社が共同で公表している臨床試験の結果を事前にネットでダウンロードして読み、リスクとベネフィットについて早々に承知していた。
ところがだ。臨床試験のデータこそ信頼に足るものなのに、日本人の多くは「まだ打っている人が少ないから」という漠然とした恐怖心から接種を躊躇している。
会場にはたくさんの人が接種に来ているが、区の人口からすれば微々たるものだ。まだまだ巷には「様子見で」の人が圧倒的に多い。
様子見くらいならまだいい。この国のことだ。周りの人間が打ち始めて、接種済と未接種の割合が逆転すれば、残る人も慌てて打ち始めるはずだ。
自分の健康行動すら周りの様子を伺いながら決めるなんて、本当にどうかしている、と思うものの、この際、同調圧力でもなんでも接種さえしてくれればまあ合格としよう。
問題なのはアンチワクチン派だ。
いったい何を血迷っているのか、せっかく日本で接種がスタートしたというのに、ワクチンに懐疑的な人間が続々と現れるようになったのだ。
ツイッターで正しいコロナ情報を発信している僕としては、目下、こいつらもどうにかしないといけないと考えている。
列の前が空いたので、僕と母さんは席を詰めた。たくさんの人が代わる代わる座った椅子は温まっていた。
あと何分くらい待つんだろうか。僕は暇を持て余し、ズボンのポケットからiPhoneを取り出した。
ツイッターを開くと、いいねやコメントの通知が大量に入っている。
さて今日もパトロールだ。
その前に……と、僕は手元の接種券が画面の中央になるように慎重に構え、名前や住所、周りの人が映り込まないようにしてiPhoneで撮影した。
《今日はいよいよワクチン接種。
ワクチンこそ、ウイルスに対する
最大かつ最善の抵抗です。
みなさんも早く打ちましょう。
♯コロナワクチンを打ちましょう》
ハッシュタグをつけ、先ほどの写真とともに投稿する。
ツイートが送信されたのを確認してタイムラインを眺めると、すぐにアンチワクチン派のツイートが目に飛び込んできた。
《外国が開発した得体の知れない
ワクチンの接種を国が強制するとはね》
《製薬会社はワクチンでボロ儲け!》
《打つ打たないは個人の自由のはず。
どんな副作用があるかわからない。
おっそろしい! 俺は打たないね》
ワクチンに否定的な投稿に、何万という「いいね」がついている。
それを見た僕は思わず舌打ちする。
いけない。あまりの苛立ちについ舌打ちしてしまった。
誰かに聞かれたかなと左右を見たが、左側の見知らぬ男性は腕組して前方のテレビ画面を見ていたし、右隣の母さんは持参した新書を開いて読書に集中していた。僕の舌打ちには誰も気づいていないようだった。
ほっと息を吐き、もう一度画面を見る。その間にもさっきの投稿へのいいねが増え続け、次々にリツイートされていく。
今度は心の中で舌打ちする。
何が個人の自由だ。
世の中には「ワクチンを打つ、打たないは個人の自由だ」という考えが根深い。政府もご丁寧に「ワクチン接種は強制ではありません。あくまでも個人の意思に基づくものです」とアナウンスしている。
しかし僕としては、こういった政府のアナウンスの仕方もアンチを生んだり誤解を招いたりする一因なのではないかと思っている。
ワクチン接種に関する法律は予防接種法である。この法律には、国民は予防接種を受けるよう努めなければならないと記してある。つまりワクチン接種は国民の努力義務である。
しかし政府のアナウンスの仕方だと「受けてほしいのはやまやまですが、確かに副反応などのリスクは否定できないので、後から文句を言うくらいなら、事前によく考えて、どうぞ自由に決めてください」と言っているようなものだ。政府の本気度が伝わらないと頭にくるのは僕だけだろうか。
「確かに法律での罰則はないが、努力義務なので、みなさん受けましょう」くらい、国はもっと積極的に接種を勧めるべきだ。
この際、法的根拠をガン無視して僕の意見を述べれば、ワクチン接種は強制にしてもいいと思う。
「それじゃあ個人の自由はどうなる」という意見に対しては、憲法を引き合いに出せばいい。パンデミックは、「自分は別に感染してもかまわない」とか「私は感染したくない」という個人の意思を超え、国民全員で感染対策を講じなければウイルスを封じ込めることはできない。つまり、感染対策は公共の福祉の一環と考えていい。
公共の福祉のためであれば個人の自由は制限されると憲法にはあるのだ。公衆衛生の観点からも感染症に対してワクチンが有効だということは明白な事実だ。接種は任意ではなく、強制にしても法的には問題はないはずだ。
これだけ根拠があるのに、一体全体、何だって21世紀になってワクチンの効果を疑ったり、あるいは副反応にブーイングしたり、陰謀論を信じたりして接種にしり込みする連中が出てくるのだろう?
先進国で日本ほどワクチン接種に懐疑的な国民はないという報告もあるのをほとんどの日本人は知らないだろう。
2018年、コロナが起こるちょうど2年前、Natureにある論文が載った。「ワクチンに関する知識の欠如がパンデミックを引き起こすか」というテーマで調査された研究だ。
この調査では、149カ国の28万人ほどに「コロナワクチンは有効だと思うか?安全だと思うか?」などいくつかの質問をして、どれほどの人々がワクチンの効果を信じているかを明らかにしていた。
この調査で日本はなんと149位だった。どこからどう見ても最下位。日本人は149カ国中、最もワクチンに懐疑的な国民だということが明らかになったのだ。
ちなみに別の調査では、セネガルやケニアといった発展途上国の人々の方が、日本やフランス、ドイツ、アメリカなどよりもワクチン接種に関して正しい知識を持っていたのが明らかになっている。
俗に先進国と呼ばれる日本の方が、途上国と呼ばれる国々よりもワクチン接種に懐疑的なのは何たることだろう。もっと広く言えば、日本人には科学のリテラシーが低いということではないだろうか。
僕としては呆れる話だが、先進国と言われるこの国でなぜこんな現象が起こるのか、一考の余地があると思っている。
兎にも角にも、いかなる要因があっても、国家の危機なのだから議論は後にして欲しい。四の五の言わずにささっとワクチン接種を打てばいいんだ。日本人の無知にはほとほと呆れてしまうよ。
★
「位田栄子さーん、どうぞー」
看護師が呼ぶ声が近づいた。目を上げると母さんの番だった。
「じゃ、先に行ってくるね」
母さんが僕の方を向き、小さくガッツポーズしながら診察室の中に入っていった。
僕はなかば呆れて手の平をヒラヒラさせ、「いってらっしゃい」とも「しっし」とも受け取られるような曖昧なジェスチャーをした。母さんには子どもっぽいところがあるのだ。
診察室に入って3分も経っただろうか。母さんは左上腕を押さえ、「ありがとうございました」と中に向かって頭を下げながら出てきた。
「次、駆の番よ」
看護師さんが呼ぶ代わりに母さんが僕を呼んだ。
僕は医師の前の丸椅子に座り、さっと腕を出した。横にいた看護師が「このようにしてください」と腕の形を示したので、それを真似た。
振り向くと後ろに母さんが立っていた。
コロナワクチンは、上腕三頭筋という肩の筋肉に注射される。いわゆる筋肉注射だ。これまでよく打ってきたインフルエンザワクチンは皮下注射なので、今回は注入する部位が違う。筋肉注射を受けるのは初めてだった。
「指先がピリピリしたり、気分が悪くなったりしたらおっしゃってくださいね」
医師が注射器を構えながらそう言うと、部位を確認し、一気に刺した。内筒を引き、逆血がないのを確認するとそれを押した。
ワクチンの量は0.3ミリリットル。注射器に詰められていると量が多く見えるが、実際はほんのわずかな量だ。
微量だが、これこそが人類初のコロナワクチンだ。人類の英知が詰まった科学の結晶。それが、今この瞬間、僕の体内に注入されていく。
ワクチンが僕の体に吸収されるや否や、直ちにコロナウイルスに対する免疫がつくられることだろう。免疫は僕の体内で起こる現象だが、面白いことに僕自身はそれを知覚することができない。しかし、そのおかげで僕の体は確実にウイルスに対して強化されていく。
これぞ科学の恩恵だ。
感慨に浸っていると、あっという間に接種は終わった。
診察室を出ると看護師に待合室に案内された。アナフィラキシーショックなどが起こる場合に備えて、15分間待機するようにとのことだ。さっきのロビーだったが、接種済みの人間とこれから摂取する順番待ちの者とのスペースが区切ってあった。
15分経ち、看護師が声をかけてきた。
「位田さん、体調はお変わりないですか?変わりないようでしたら、帰宅していただいて結構ですよ」
これで終了。
僕らは、こうして無事に一回目のワクチン接種を終えた。
「なんか、全然痛くなかったね。去年インフルエンザ打った時は結構痛かったけどな。ちゃんと液入ったのかしら。ほらなんか、よその会場で量を間違えたとか空のまま打っちゃったとかって、今朝ニュースでやっていたじゃない」
廊下を歩きながら母さんが言った。
「インフルエンザワクチンの投与量は、大人だと0.5ミリリットル。コロナワクチンは0.3。コロナの方が少ないから、そりゃ痛くないと思うよ」
「そうね。確かに少ないように見えた」
母さんは納得すると、廊下の先にドドールを見つけたようだった。今どきはどこの病院にも何かしらのカフェが入っている。
「駆も何か飲んでいく?」
「いや、いい。時間だから行ってくるよ」
「そう。じゃあ、私はここで待ってるからね」
母さんは僕を振り返ることなく店内に入っていった。
母さんの背中が店の奥に消えた。母さんは50代だけど若々しく見える。学生時代に陸上をやっていて、今もヨガやウォーキングに余念がないからだろう。骨密度は120%で、20代の平均値なんだと、母さんが自慢していたことを思い出す。
店の入り口の看板には、ジューシーなメロンの絵とともに、たっぷりのホイップが乗った新作の夕張メロンラテが載っていた。母さんは無類の新しもの好きだ。たぶん、これをカロリーを気にしつつも注文してしまうだろう。
母さんの来ていたベージュのニットが店内に消えるのを見届けると、僕はエスカレーターに乗って2階Ⅽブロックに向かった。ここの精神科では、毎週木曜日は児童精神科の医師が診察している。
受付して再びロビーで待った。
僕の現在の担当医は、佐伯ゆりという31歳の女性医師だ。3月までは田中という高齢の先生が主治医だったが、田中先生の定年退職に伴い、今年の春から交代になった。
田中先生は、精神科の中でも専門が違ったのか、残念ながら発達障害に関心があるようには見えなかった。社会的に急増している発達障害の医療ニーズに対応するため、病院として急ごしらえで児童精神科を設置したものの、治療提供レベルが追い付いていないのが透けて見えた。
田中先生の診察は、毎回「調子はどうですか」で始まった。
ところが引きこもりの僕には、取り立てて話すこともない。登校していないので周囲との摩擦がなく、自分の世界に没頭していられるため、状態は安定している。医師に話したいことも相談したいことも別段なかった。
そのためいつも適当に近況を話した。「母さんが最近鉄分摂取のためにレバー料理ばかりつくるから嫌だ」とか、「雨が降って髪型が湿気で決まらないから腹が立つんだ」とか、本当にどうでもいいことを話していた。
田中医師も、何かカルテに書くネタが得られればそれでよかったのだろう。それ以上質問することなく、キーボードを叩いて何かをカルテに書き込み、「調子がいいようで何よりですね。じゃあまた来てください」と告げた。
それで、いつも診察は終わっていた。
まあ、確かに僕のような患者がちゃんと定期的に受診しているだけでも「調子がいい」と判断してもあながち間違いではない。
僕はこういう性格だから、基本的には専門家の指示には従う。だから、田中先生の診察に疑問を感じても、定期受診の指示があるのに自己中断するようなことはしない。
でも、もうちょっとやり方ってものがあるだろうにと思って本当はゲンナリしていた。
そんな田中先生の診察が3年続いた後、担当になったのが現在の主治医、佐伯先生だ。
佐伯先生は医師免許を取って6年目。大学病院で臨床研修を終えたのち、精神科の医局員としてこの病院に赴任してきた。
佐伯先生は最初から児童精神科医を目指していたそうで、発達障害の治療にも意欲を燃やしていた。見た目はほっそりしてまだ学生にも見えるが、キャリア何十年かの田中先生より医学知識が豊富なのはすぐに分かった。
佐伯先生は診察のたびに毎回いろいろなことを僕に質問した。僕はいろんなことを話さなければならなかった。
話すのが心地よいと感じることもあれば、億劫に感じることもあった。先生の質問に対して回答しようにも、モヤモヤして言語化できないこともあり、いきおい診察時間は長くなった。
先生の熱心さがいつも伝わってきた。とても好感の持てる人物でもあったので、診察が嫌だと思うことはなかった。
「駆くん、お待たせ。どうぞ」
音域は高いが、落ち着いた声がした。診察室のドアが開き、佐伯先生が顔を出した。
こういうところも、診察室の中に鎮座したまま「次の人、どうそー」と呼んでいた田中先生とは大違いだった。
「失礼します」
診察室に入ると軽く頭を下げながら丸椅子に座った。
先生が振り向くと、控えめなブラウンに染めた肩までの髪が遠心力で揺れた。佐伯先生と向かい合う。
たいていのドクターは頸椎運動して顔だけ患者の方に向ける。あるいはもっとひどい場合、パソコン画面を凝視したまま診察する者もいるが、あれは患者としてはいい気持ちはしない。佐伯先生はそれを職業的に理解しているのか、先生自身がもともと人に接するときの自然な態度なのかは不明だが、とにかく体幹ごと僕の方に向いてくれた。
「駆くん、久しぶり。元気だった?」
まるで友達に挨拶するかのように先生が声をかけ、診察が始まる。
きっと僕がまだ子どもだからあえてフランクに接しているんだろうと僕は推察している。
「おおむね元気でした」
佐伯先生の問いかけに、僕はいつもこのように答えている。
今の僕は、正直心身ともに元気である。さっきも説明したけれど、他人と関りを持つ必要がなければストレスを感じない。ハッピーでいられる。
しかしこの僕にだって、引っかかっていることはある。
僕は「健康と言えるのかどうか」だ。
父も勤めたことのあるWHOは、その憲章の中で健康についてこう定義している。
『健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態を言う』
僕は一般的な小学6年生の知能をはるかに超えているけれど、義務教育課程である小学校に登校し、カリキュラムをこなしたり同年齢の子どもと交友関係を築いたりするという、12歳児に課せられた社会的役割を果たせていないのだ。つまり、僕自身は自分の生活状況に満足しているけれど、引きこもりの僕は「社会的に」の部を満たしていない。この定義を信ずるならば、僕は「健康ではない」ということになるらしい。
社会的役割を果たせていないことを、まったく気にしていないといったらウソになる。
まさにこの定義を定めたWHOに勤めていた父は、今の僕ことをどう思っているだろう、という考えが、時折チラリと胸をかすめるのだ。その時に、苦い感情を伴うのに、僕はいつも気づかないふりをしている。
「おおむね……、ね。了解」
そんな僕の心の中を見透かすように、佐伯先生は含み笑いをするように頷いた。
この態度は、端から見たら精神科医として不謹慎に見えるかも知れない。患者の発言に笑うなど、もってのほかだろう。
しかし僕は、佐伯先生が笑ったのは、「うん分かってるよ」というメッセージだと承知している。
さきほどの僕の懸案事項については、佐伯先生にはすでに説明済みだったのだ。
補足すると、このことについて誰かに話したのは、佐伯先生が初めてだった。潜在意識の中にモヤモヤと檻になっていた自分の引け目を、佐伯先生が僕の顕在意識に引き出してくれたのだ。
辛い出来事であっても、潜在意識の中に押し込めて本人がそれに気づかないのなら、そのままにしておくのもやさしさかもしれない。
しかし、配管の中の汚れは普段目にすることはなくとも、放っておけば確実に詰まっていく。まずは目に見えない部分に詰まりがあるのだと認識しなければ、どう取り除いていいのか方法も考えられず、いつまでたっても水はスムーズに流れない。
どこに人生の詰まりがあるのか、精神医学的に明らかにする。カウンセリングとは、つまりそういうことなのだ。
「今日は駆くんに紹介したいことがあるの」
佐伯先生が僕の視線をとらえて言った。
「紹介? 何をでしょうか?」
「私の大学の学部違いの同級生がね、今、慶王でポスドクしてるんだけど、《サピオフロース》っていう科学サロンに入っているの。入っているというか、正確には研究室の教授が主宰だから、事務局として手伝わされてるんだけど。まあ、それはいいとして、このサロン会では、所属も専攻も関係なく最新科学についてみんなでざっくばらんに話すらしいんだけど、すごく面白いらしいの。それで駆くんのことを話したら、主宰者に話してくれて、ぜひどうぞって」
科学サロン……。
特に何の興味もわかなかったが、先生はサロンの説明を続けた。
「主宰者は誰だと思う? 慶王大学医学部感染症科の三木谷洋平先生よ。駆くんなら知ってるでしょ?」
知ってるも何も、国内初のコロナ発生となった豪華客船オーロラ号に感染症のプロとして乗り込み、ずさんなゾーニングをYouTubeで告発して以降、度々メディアに登場している人物だ。テレビやSNS発信など、その発言は何かと世間を刺激しているが、この国の感染症医療の第一人者である。
僕は三木谷先生と直接の面識はないが、父は間違いなく知り合いだろう。
先生は話を続ける。
「それで、私の同期の話では、入会は紹介制で誰でも入れるわけじゃないんだって三木谷先生にどうぞって招待してもらえるなんて、すごいじゃない」
「それってすごいことなんですか?」
「そうよ。メンバーは公開されてないんだけど、ちょっとだけ同期から聞いたら、基礎医学や理工学の気鋭の研究者ばっかりよ。そもそも三木谷先生と話せること自体がすごいじゃない。三木谷先生はコロナウイルスのゲノム研究もされてるわ。入会して、ぜひ先生と話してみたらいいじゃない」
僕は腕を組んだ。なんだか釈然としない。
佐伯先生の方が嬉々として話を続ける。
「主に月2回サロン会があってて、以前は三木谷先生の研究室でリアル参加だったらしいけど、今はコロナでオンライン参加も選べるんですって。感染状況によっては、オンラインのみになるらしいよ。オンラインで参加できるのって便利だよね。話し合うテーマは毎回決まってて、論文とか資料も事前に送られては来るらしいけど、参加は自由でその日集まった人でいろいろ話すみたい」
フ――ッ。僕は鼻腔から長く息を吐きだした。
誰も主宰者情報だとか参加方法なんて聞いてないし。先生だけで勝手に盛り上がられても困るんだけど……。僕の心に不満が渦巻いた。
「なんだって僕がそんなサロンに入らないといけないんですか? 論文なら一人で読めます」
「読むだけじゃなくて、読んだ論文について話し合うのがサロンの目的よ。面白そうじゃない?」
間髪入れず先生が言った。
「結構です」
僕は即答した。
「あら、それはなぜ?」
やはり来た。
コンマ数秒、僕は言葉を口にするのをためらった。
しかしすぐにそれは出てきた。
「決まってるでしょう。僕には誰かと話したいことなんてありません。情報を人と共有しようと思えば齟齬が生じるのは世の常だ。論文だって誰とも話さず一人で精読する方が情報を正確に把握できる」
一気に説明した。
相手がふつうの人だったら、僕のさっきの発言を攻撃的に感じるかもしれない。でも、先生は僕の目をひたと見たまま、視線をそらさない。
「エビデンスは正確に解釈する必要がある。サロンは雑音にしかならない。たとえ三木谷教授であろうと」
僕は説明の続きを放った。
「やってみる前から決めつけるのは、もったいないことじゃない?」
「やってみないとわからないのは、知識が不足している人間のすることだ。僕は違う」
うーん、と先生が窓の外に視線を移した。
窓からは駅ビルとマンションが見える。その向こうには都心の高層ビル群が霞の中にそびえたっていた。方角的には隅田区の方を向いている。しかし、ここからもやはり、スカイツリーは見えなかった。
「私がこのサロンを駆くんに勧める意図は、ただ科学者たちと論文を読んだらってことだけじゃないの」
佐伯先生は穏やかな笑みを浮かべているんだろう。マスクを付けていてもわかった。
「駆くんには、気の合う人を見つけて、仲間意識とか、帰属感を育んでほしいと思っているの」
仲間意識。帰属感。
僕はその言葉を、口の中で2回ずつ発音してみた。
僕はそれらを欲しているのだろうか。僕にはそれが必要なのだろうか。
僕は宙に視線をさまよわせ、自分の中に判断材料を探した。
誰かと仲間であるとか、どこかに所属している感覚を、僕はこれまで感じたことがなかったので、それが自分に必要なのかどうかすぐには判断できなかった。
経験的に判断できないなら、理論的に考えてみよう。
頭の中で発達心理学者ハヴィガーストのテキストめくり、今の問いと照合してみる。
いわゆる沈黙が、僕と先生の間に降りてきた。
カウンセリングでは沈黙にも重要な意味がある。佐伯先生は、僕が黙しているときは、急かしもしないし対話の集中力を切らすこともしない。
ここ数年、コーチングやナントカ心理学とかがやたらと流行り、巷ではなんちゃってカウンセラーが増殖しているらしい。だから、カウンセリングにおける沈黙の重要性ぐらいは今どき誰でも知っているだろう。
しかし、自分が沈黙する間、それを待ってもらった経験のある人はそれほど多くないはずだ。沈黙を待ってくれることがこんなにも有難いことなのだと、僕は佐伯先生から初めて教わった気がする。
判断しかねた僕は、質問の意図を確認する作戦に出た。
「つまり、僕にサロンを勧める目的は、知的好奇心を満たすことではなく、仲間を作り、帰属感を得て、発達を促すということですね?」
「ええそうよ。さすが、よく勉強しているわね。科学だけでなく精神医学も完璧ね」
「代表的な発達理論は全部読みましたから。僕の発達に問題があると知って、母が山のように専門書を買ってきたんで、暇つぶしに読んだだけです。精神医学に特別関心があったわけじゃない」
「医学的には、私はさっき駆くんが言ったとおりよ。どんな場所だったら駆くんの興味を引くかってずっと考えていたの。それで見つけたのが三木谷先生のサロンだったのよ」
「それはどうもありがとうございます」
佐伯先生の表情がパッと輝いた。
僕はすぐに「でも」と続けた。
「僕には必要ありません。僕は、特に誰かと話したいと思いませんす。誰かにわかってもらおうとか、誰かとわかり合いたいという感情もありません。話したくない相手と話して、仲間になれますか?」
自分でも心拍数が上がっているのを感じた。一気に言い放つ。
「興味のない会に出ても、帰属意識なんて持てませんよね。せっかくですけど、遠慮しときます」
スッと室温が下がったように感じた。
先生はわずかに目元を細めて、
「そう、わかったわ」
と了承してくれた。
僕は手の平に汗をかいていた。なんだか悪いことを言ったような、決まり悪さが僕の心を覆った。
僕は先生から目をそらし、心拍数を下げようと呼吸に集中した。
それで、その日の診察は終了した。
これ以上問われたらと思うと説明できない焦りを感じていたので、話が終わって、僕は内心、胸をなでおろしていた。
★
受付で次回の診察の予約を取り、ドトールで母さんと落ち合い、母さんと並んで駅前通りに出た。
病院の外に出ると、空気が軽くなったように感じる。
病院という、人が病いを抱えて集い、死ぬ場所では、空気の質量が違うのだろうか。
「さあ~、副反応、いつ出るかなー?」
母さんが深呼吸しながらのんきな声を出した。
「さあね」
僕は適当に返事をした。前を歩く人や反対方向へすれ違う人にぶつからないようにしながら、この人たちはみな、本当に、誰か自分以外の人間と仲間意識を持ったり、学校や会社に帰属感を持ったりして生きているのだろうか、と思った。
そんなものが、人を成長させると言うのだろうか。自由になるというのだろうか。自我が何の助けになるっていうんだ。
理性、知識。その方が、ずっと役に立つ。心理学者たちは、相当お人よしの楽観主義者だったんじゃないだろうか。
僕は誰にも気づかれないように、フンと鼻を鳴らした。