失われたのは『京アニ』という『世界の夢の宝箱』でした。
まず、先月開始した京アニ支援の活動の現状を報告します。仲間と予定していた京アニ訪問日前日に倒れた明日後、私は単身、新幹線で京都へ向かいました。まず向かったのは京都アニメーションの本社でした。案の定、アポを取れと怒られ、案内された連絡先を通して支援させてほしいという旨を伝えました。結果は「現状では支援の受け入れは出来ない。“そういう”支援の受け入れを始めると決定したら改めてアナウンスする」とのことでした。その結果に至るまで一晩京都伏見に宿泊し、翌日の昼に京都を離れました。
京都に滞在した24時間の間に京都アニメーションの本社と第2スタジオ(外からひと目見ただけ)、そして第1スタジオを訪れました。事件から10日ばかり経った頃でしたが、やはりメディア関係者が30人余り網を張っていました。第1スタジオ前で泣き崩れる女の子二人組みを見つけるやいなや、フルサイズのバカでかいボディーのバカでかいシャッター音のするカメラ十数台で囲うのを見ました。彼らメディア関係者も仕事ですから映像や写真、インタビューをするのは当然の行為ですが見ていて空しくなりました。否、私も野次馬の一人と自認しつつ、三時間ほどその場で立ち尽くしたあとに宿探しに向かいました。現地では手を合わすことも涙を流すこともありませんでした。ただ、来訪者の対応をする警備員さんやその来訪者、ウロウロしているメディア関係者、建物を見続けていました。
第1スタジオを訪れ、驚いた2つの点。一つは日本最高峰のアニメスタジオが“あんな”住宅街のど真ん中にあったこと。本当に日本全国どこにでもある駅近くの住宅街のど真ん中。そこにハツラツとした黄色の塗装に覆われた“夢の生産地”である京都アニメーション第1スタジオがあったのです。その立地から2つ目の驚きを受けました。創業者である八田社長夫妻の人格についてです。
世界中、多くの優良企業が立地に関してより目立つような場所にオフィスを置いています。ただ、京アニについてはまったくその気配はなく、むしろ目立たず粛々と木彫りを掘るような佇まいを思わせました。これが物作りへの思いを語っている一面だと思います。まさにスタジオ周辺の空気感は作品内の空気感と同じように感じたのです。
八田社長、この人ほどの経営者は現代では本当に珍しい滅多にいない手腕を持つ人物だと思いました。彼の元で働けたからこそ京アニのクリエイター達は最大限の才能を発揮できたんだと思います。
そして先程思い至った一つの点について。
私が第1スタジオ前に訪れた時の事です。私は、ほとんど何も感じませんでしたし、何も思いませんでした。35人が亡くなったあの現場でです。それは虚無にも似た感じで怒りも、悲しみもほんの少し、数パーセント位しか思いませんでした。だからこそ灼熱の元で三時間も立ち尽くしていたんだと思います。
その虚無に似た感情が一体何だったのか、帰ってからずぅっと考えても一週間が経っても分かりませんでした。それが今日なんとなくですがやっと言語化出来たんです。それがタイトルにもある言葉でもあります。
言わば、京アニ作品という名の夢・宝を生み出す憧れの工場が空っぽになってしまったことがとても寂しかったんだと思います。今、あの第1スタジオの中には誰もいません。少し前なら皆で切磋琢磨し合いながら夢や魔法、やりたいことを描き続け、活気あったはずのスタジオから猫の子一匹いなくなってしまったのを目の当たりにしたから。
少し変な話になります。
なぜ京アニ作品が現代の若者にリスペクトされ続けるのか。
やはり“時代”は存在し動き続けていると実感しました。
八年前の東日本大震災、関わってくると思いませんか?
あの時、若ければ若いほど、心へのショックは大きかったんだと思います。
日本全体が悲観の渦の中に飲み込まれていた最中でした。
京都アニメーションは「明日へ」「挑戦」「夢を追いかけて」「楽しさ」「人生」
そういった作品を私たち、若者に魅せてくれました。
時代に押し潰されそうな私たちを救ってくれる物語を紡ぎ披露して、励ましてくれました。
私はクリエイター(自称)の端くれとして京アニをリスペクトしていましたし、憧れていましたし、会ったことがないながらも、多くのスタッフさんの事が大好きでした。それこそ京アニ作品は死ぬほど見ていますから、氏名が発表された時、ほとんどの人の名前やその人の役割が分かってしまって、逆にどれだけスタッフクレジットを見ていたんだろうと気になったほどです。
訪問時、京アニ関連の写真は何も撮りませんでした。一眼カメラを持っていったりしたにも関わらず。
今、それが正解だったと少し悟っています。クリエイターとして将来、この事を誰かに伝えるために、すべて心と目で受け止めておかなければと無意識に行動していたんだと思います。
世界に素敵な夢をくれた京都アニメーション。この世から無くなってしまわないよう、まだ何か出来ることはないか、模索、検討、準備を続けます。また、テレビ、スクリーンの前で京アニ作品を見たいですからね。