京都アニメーションへの緊急援助と映画『勇臨丸』制作の一時中止について


 当noteをご覧に来て頂いた皆様に厚くお礼申し上げます。

 この度の事件は未だ収拾のつかぬ状態であると理解した上でも、あの災禍に巻き込まれた全ての方への思いを表さずにはいられません。どうかお悔やみを申させて下さい。

 私は元はアニメーターであり現在は少人数でオリジナル映画の制作を続けている身です。ですから全てとは言わないまでも京都アニメーションの偉大さや功績、これまでの度重なる努力を少しだとは思いますが理解できると思っております。

 京都アニメーションは元々「仕上げ」という部門の下請け会社という立場からスタートしています。「仕上げ」とは簡単に言うとアニメーターの描いたキャラクターなどの絵に色を塗る仕事です。今でこそパソコンに絵を取り込み専用のソフトウェアで作業していますが当初はセルという透明なフィルムに絵の線画を焼き写しその線に合わせて専用の絵の具で色を塗るという一見地味な作業でしたが、それでも一作品に何千枚、映画版となれば数万枚のセルに色を塗るという過酷な作業だったためアニメーション業界では手を焼く部門であったことは確かでしょう。現在NHKで放送されている連続テレビ小説「なつぞら」をご覧になっている方は覚えているかと思いますが、なっちゃんが東洋動画に入社して初めて任された仕事が仕上げでした。そんな仕上げですが皆さんご存知の『もののけ姫』や『新世紀エヴァンゲリオン』なども実は手作業でキャラクターに色が塗られていました。大体2000年くらいまでのアニメ作品が該当すると思います。そんな仕上げ部門で業界内に吹き抜けた風が京都アニメーションの丁寧な仕上げだったのです。その実績は語るまでもなく、『魔女の宅急便』や『紅の豚』を代表とした多くのアニメ作品に貢献したのです。

 時は流れ、作画部門の設立を創業者の八田社長は目指しました。当時、大阪にいた日本屈指のアニメーターに声を掛け「いつかオール関西のアニメ作品を作ろう」と熱い夢を語ったのです。少人数ながら着々とアニメーターの育成を進め、遂にはTVアニメ『クレヨンしんちゃん』のグロス請け(シンエイ動画に変わって原画から制作を受け持ち制作協力した)までになったりと常に成長をし続けました。

 京アニの歴史、ホントに深いです。ウェキペディアでも結構詳しく乗ってますので興味ある人は覗いてみて下さい。

 『涼宮ハルヒ』シリーズや『けいおん』に始まり、『CLANNAD』、『日常』、『氷菓』、『中二病でも恋がしたい!』、『たまこまーけっと』、『Free!』シリーズ、『境界の彼方』、『甘城ブリリアントパーク』、『響け!ユーフォニアム』シリーズ、『無彩限のファントム・ワールド』、『小林さんちのメイドラゴン』、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、『ツルネー風舞高校弓道部ー』。劇場作品では『聲の形』が世界的にも高い評価を得ました。私は皆好きですが、ファントム・ワールドは京アニとしては結構暴れている感じがするし面白いのでよく観たくなります。

 私がアニメーターになるために重ねた模写という絵の練習方法でも『響け!ユーフォニアム』や『無彩限のファントム・ワールド』などの作品を大量に描きました。話が元々とても良いので描いていても、とても楽しく練習できたのです。さらに、京アニ作品はキャラクターの線が細かい割にはとても柔らかくできており、描くにはそれなりに繊細な鉛筆使いが必要になりますが、その模写作品をアニメ会社の採用で観てもらったときには実用レベルと言われ採用に至りました。

 上記の“線の柔らかさ”は作画だけでなく、色彩仕上げ部門さんの色作りや、撮影部門の画面作りが深く関わってきます。私は面倒臭がりなので京都アニメーションに入ったら私自身潰れてしまうでしょうし、あのような繊細な画創りを行うには才能も不足していると感じていましたから京都アニメーションの採用を受けようとはしませんでした。地理的にも遠いですし、採用倍率も数千人に一人の割合ですから受けるのも自分自身で憚っていました。

 よく、芸術関係の業界でよく言われることなのですが「目標を定めると、その目標以上には到底到達し得ないので目標は定めるな」とよく言われます。気持ちはわかりますが、私は京都アニメーションをとてもリスペクトしていますし、大好きですし、あんな素晴らしい作品を作れる人たちを尊敬し、「あんな作品をいつか自分で!」なんていうのもよく思います。思ってきました。いま、この文を書いている間も『無彩限のファントム・ワールド』や『響け!ユーフォニアム』、『氷菓』を観て書いています。やはりレベルが断然違いますよね。なんか、アニメを作りたくなるアニメだったりします。

 だからこそ、世界中のアニメ関係者やアニメファンの衝撃は例えようがないものでした。

 現在、日本のアニメ市場規模は2兆円以上となっています。現在の国の防衛予算が大体5兆円ですから、海上自衛隊くらいなら丸々一年間運用できてしまう規模です。そんな国家予算レベルの市場の一端を担っていたのが京都アニメーションという一つのレーベルと化した会社・スタジオでした。京都アニメーションはアニメ業界内ではかなり特殊な立ち位置に属しています。例えるならスタジオジブリや湯浅政明監督率いるサイエンス・サル、新房昭之監督率いるシャフト、新海誠監督率いるコミックス・ウェーブ・フィルム、庵野秀明監督率いるスタジオカラーのような感じです。しかし、特に特徴的なのが一人の存在に頼らないで様々な人材を登用し、あらゆる人達に受け入れられるという功績を残してきたのが京都アニメーションです。当時は珍しかった女性を監督に起用した山田尚子監督の『けいおん』に始まり、女性男性関係なく、外側から見ても人情の感じられる制作を行ってきたのです。山田監督はその後も映画『聲の形』の監督を務めるなど京アニの柱の一つとして活躍しています。

 そんな京アニの事業規模は他のアニメ会社とは比べ物になりません。スタジオジブリや元々映画会社の子会社として設立された東映アニメーションは別ですがアニメーションDoとST.BLUEという子会社を持っており推定ですが合わせて500人以上の従業員を正社員として採用しています。一人あたりの月給を20万円と見積もっても一月で一億円の人件費。更にはその他の制作費全般も必要ですから、ソレを供給できるだけでもアニメーション会社としては異質。一社の企業努力のみでここまでの規模にするのは世界的に見ても稀であり、アニメーションスタジオとしてはディズニーやピクサー、ジブリに引けを取らないレベルとも言えます。前記三社に比べれば京アニは世界的知名度こそ落ちるものの、技術と企業実績はまさに本物と世界的にも評価されています。

 今回の災禍に見舞われた京アニ第一スタジオは本社とは別で、いくつかあるアニメ制作のためのスタジオの中ではまさに本丸・中枢と呼べる場所でした。政府に例えるなら首相官邸や内閣府とさえ言えます。被害に遭われた従業員の中には作品制作には絶対欠かすことのできない人材が多くおられたと思います。八田社長はじめ、全力で事にあたっているとは思いますが収拾がつくまでの道のりは短くはないでしょう。

 一月に必要な予算が一億円を超えているにもかかわらず、作品制作作りが出来ない状況が京アニの状況と推察しますが、ソレが一ヶ月ならまだしも二ヶ月、三ヶ月、半年間へと続いているかと考えれば現在のアニメ産業の余力を考えれば難しいと試算しています。現在クラウドファンディングやアニメイト、京アニの支援金は一億円を超えているものの、京アニの企業規模から言えば半年は持たないでしょう。そうなれば残された400人以上の子会社含む従業員や京アニ作品を上映、放映する予定だった各関連企業も多大な損失が出る恐れもあり数千人の関係者が影響を受けるでしょう。さらに、被害にあったのは全部門を統括する中枢であった筈でそこにいた人材がいなければ脚本から絵コンテ、原画や美術、撮影、仕上げ全ての部門の進行がストップしてしまいます。また全焼したスタジオにあった機材がなければデータの処理を行ったり、仕上げ、撮影などもできなくなっているのではと思います。

 特に京アニグループの従業員は400人以上いますが、彼らがもし路頭に迷うようなことになれば大変です。彼らを支援する資金も企業も準備はできていませんし、最終的には不足する事態も見えてきます。東京などのスタジオが雇えばいいとは言われますが関西から関東へ移住させるのだって、関東の多くのアニメスタジオと京アニとの性質の違いは大きいですから弊害は間違いなく出てきます。

 また、今後この世から京都アニメーション作品が無くなってしまう。これも防がなければと思います。もし、ディズニーやピクサーやジブリが成長半ばで危機に倒れていたら今ある名作は生まれていなかったかもしれません。そう考えると、これから京都アニメーションが作るはずだった名作たちが潰えてしまいそうな今の状況を放っておくべきではないと思います。

 然るべき財政出動も必要かとは思います。文化庁・文部科学省からの支援も期待しています。しかし、所詮お金はお金。人の魂には変えられません。その魂は生きていても死んでいても同じで等しいものです。亡くなった方も生き残った方も同時に支援する姿勢が必要です。高須クリニックの高須院長が怪我人の診療を表明してくれましたね。とてもすごい人だと思います。私はさらに京都アニメーションがより早く自力で業務を再開し、一企業として健全な営業ができるようになるための支援も欠かせないと考えています。

 しかし、多くのアニメ関係者に声を掛けましたが余裕のあるスタジオや業界人はとても少ないです。もともと関東勢のアニメ業界は人材不足や資金不足、スケジュール不足に悩んでいるのは分かっていましたが想像以上に悪い状況です。

 私は現在、個人レベルでチームを組み京アニ支援を検討していましたが、このような状況だと分かってきた今、自身の力という力を惜しまぬ姿勢へとシフトさせました。自分のアトリエで『勇臨丸』という映画を制作していましたが一時中止し京アニ支援のためにベクトルの方向を変えました。周りにあるPCなどの機材を車に積み京アニさんから必要とされれば貸与か贈与しますし、機材整備に必要な知識はあると思うので手伝えれば手伝います。『勇臨丸』スタッフと協力者には謝りましたが「久保さんの信念を信じるよ」と言ってくれたので彼らのためにも京アニの役に立たねばなりません。

 元々、『勇臨丸』という映画は日本初の災害救難船の話でしたから困った人たちを救いに京都に向かうというのは至極自然だとも思いました。なにぶん、自分は小学生、否、保育園児の頃から海上自衛官を目指していましたから体や心が勝手に動いてしまうんですよね。ただ、今回は更に特殊だったんです。東日本大震災が起きた時、私は小学五年生でした。神奈川でも震度5弱や4を記録し地面が海のように揺れたのを今も覚えています。放課後、学校に残っていた我々数人を担任の先生が車で送ってくれた時、車載のワンセグTVで津波が陸を、田んぼを這って進んでいき逃げる車を飲み込んでいく中継を目の当たりにした時の何とも言えない衝撃今も覚えていました。そして2019年7月18日にその衝撃を再び味わうことになりました。震災当時、子供ながら何も出来なかった私は生意気ながらとても悔しがりました。自衛官を志していた身でしたから余計にカメラに映される人々を助けてあげられない自分を恥じたんだと思います。それでも担任の先生の協力もあり、児童主導で募金活動や陸前高田市立米崎小学校にうちわの支援(当時冷房機器が不足していたため)を行ったりもしました。そこから私の夢はただの海上自衛官から海上自衛隊幹部、自衛艦隊司令や海上幕僚長、統幕長、防衛大臣へと、地方まるごと包括的に支援対処の出来る手腕と立場を目指しました。結局、船舶の高校に入ったのですが二年時に色々あって適応障害を発症し依願退学。それから四年ほどが経ち次は自分がいたアニメ業界で自分が憧れていた人たちが惨殺され困っているのを知った時思いました。「あの時(東日本大震災の時)のように何もしないわけにはいかない」と。

 この四年間、病気の治療も続けつつ色んな人に助けられ、様々なことを教わり体験しました。溶接も出来ますし、アニメーターもやりました。鉄道会社で運行管理やってましたし、今はコンビニでバイトしながら映画も作っています。防衛大学校に行っていたら今は二年生ですね。

 そんな立場だからこそ出来ることもあると思うんです。駆けつけたくても自分の仕事があるアニメ業界人はたくさんいます。その人達の代わりになれたらなりたいと考えています。京都アニメーションがまた元気になれるよう雑用でも機材整備でも何でも大丈夫なので力を差し出します。

Twitter

 京アニさんから許可が出れば東京に帰ってから事件の実情とこれから必要な支援を取りまとめた報告会なんかも出来ればと考えています。

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