自画像~壊レタ私ノ世界~
少し前の記事で写真を撮りたい、と書いた。
しかし相変わらず体調がいまひとつで、外へ撮影に出かけられない。
じゃあなにを撮ろうか。考えてみたら、思いついたのは自分自身、あるいはそれにこびりつくものだった。
撮ってみて思うのは、やはり自分は基本的にきれいなものには撮れないかも、ということだった。もちろんきれいなもの、美しいものは好きだ。春の野花、夏の入道雲、秋の稲穂、冬の粉雪。でも自分のレンズはそこに向かなそうだ。向くのは薄汚れた流し、煤けた道路、影に隠れ、湿った雑草、そして自分…。なんのことはない、今まで自分が書いてきたもの、そのものだ。
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私が本格的に書きはじめるきっかけとなった作家の初期短編集。常にそばにおき、ことあるごとに開いている。ひとがいきることの難さをいつも教えられる。
作品を書くときは、まずキャンパスノートに下書きを書く。中編なら一冊、長編なら二冊目も使う。とにかく多少設定や話が崩れても、ラストまで書かないとPCに本書きができない。もちろん本書きでストーリーや設定が変わるのは当然のようにおこる。登場人物の性別さえ変わることも。まあこういう執筆裏話は、プロになってから書けばかっこいいのだろうが。
外用の車いす。この写真からはわかりづらいが、フレームの細かい傷や背もたれのゆがみ、塗料の剥がれ、タイヤのすり減りなど、だいぶいたんできている。これでもまだ三年目。個人差や使用頻度のちがいはあるだろうが、車いすは案外耐用年数は短いのが難点だ。
自己導尿用のカテーテル。このなかにストローの長いもののようなのがはいっていて、それを尿道口に挿入して、強制的に排泄する。消毒や後始末などを含めると約二十分、たかが小便に費やさねばならない。腎機能を維持するためとはいえ、この行為を私に一生課した泌尿器科には恨みしかない。当然の診断であったし、本当に逆恨み以外のなにものでもないのだが。ちなみにその泌尿器科医(ちなみに三十代の女性)はたった一年で異動し、今はどこにいるかもわからない。
なにも腕の筋肉を自慢したいわけではない。私のような下半身まひの者の腕と脚は、このように歪なものである、ということだ。左足に残っているのは低温火傷の痕だ。ちなみに脚の体毛は五歳の幼い時からこんな感じである。手術後の治療で受けた投薬が原因らしい。ちなみに脚だけではなく腕の毛も濃くなり、小学生前にはすでに陰毛も生えていた。年齢にしては声も低くなったので、それから声変わりは経験していない。
手はだいぶしわがれてきた。これはそうでもないが、腎機能がおちるとむくみがひどくなる。腕は昔から血管が目立つので、採血や点滴で看護師や検査技師には楽をさせていた、のだが、最近は血管も金属疲労をおこしてきたのか、針刺しのやり直しも増えてきた。ちなみに肘付近の白っぽい傷は、腎血管狭窄をおこしてステント治療をおこなった際にできたカテーテルの挿入痕だ。手首にも二回目におこなった痕があるが、幸いそちらはほとんど目立たず済んだ。
五歳の時、脊髄に原因不明の腫瘍ができ、その部分の脊髄ごと取り除く手術を二回受けた。背中のまんなかにはその時の手術痕が、四十年近くたった今でも残っている。背中のまんなかあたりの黒っぽい痣は、車いすの背もたれなどに長い間寄りかかってきたためにできた。時々擦り傷になったりもする。ひさしぶりに自分の背中をみたが、相変わらず恐竜のようだ、と苦笑してしまう。ちなみになかなか床屋に行けず、髪がぼさぼさで見苦しく申し訳ない。というか、そこのところを見苦しいと自分は思うのか、と苦笑を重ねてしまった。
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自画像、とも呼べないような、目にやさしくない写真を自分勝手に眺めてみた。きれいでも美しくもない。だがこのからだで生きてきて、これからも生きていかねばならない。ため息ももはや出ないし、一日先すらみえない。この壊レタ私ノ世界がいったいいつまで続くかわからない。だが確かなのは、とにかく明日目覚めたら、その日を生きるために朝飯を食い、薬をのむことからはじめねばならない、ということだ。
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