小説「ふたりだけの家」3(全13話)
……奈美と出会うまで、私は孤独だった。
そのことをみずからに強いて生きていた。
こういう体だからこそ、生きていくため、他人に寄りかかってはいけない。
母の介助を受けながら通った高校を卒業し、父の一気に増えた白髪に気づいた時、その決意を身に刻んだ。今も勤めている印刷会社に就職が決まった時、両親の反対を押し切ってひとり暮らしをはじめた。それを機に、まわりの人たちとの関わりも遠ざけた。昔の友人たちとのつながりも絶ち、仕事場でも挨拶や業務以外のことでは誰とも雑談ひとつしなかった。休み時間も、仕事場の建物からもっとも遠い、誰も停めることのない駐車場の一番奥にわざと停めた自分の車のそばでひとり缶コーヒーや茶を飲み、コンビニの昼飯を食って過ごした。
ひとりで生きていかなければいけない。
こんな体だからこそ。
自分に呪詛をかけていたのだ、と今ならわかる。呪詛は、そういう生き方を否定するような行動を取ろうとするたび「やめておけ」と、別の自分が低くくぐもった声を発した。私はその声にひれ伏し続けた。
ひとりでなんか、いたくない。
呪詛の奥底で本当はそう叫び続けていた。その叫びに耳をふさいでいたことも、今だったらよくわかる。
……奈美もまた当時、仕事場の人間と極力関わることなく、ただひたすら仕事をこなすだけの日々を送っていた。
今こそ親密に続けている友人たちとの交流も、その当時は昔の私のようにほとんど絶っていた節がある。響子さんが訪ねてきたあの日、奈美が流しに立った時にふと響子さんが「若葉、奈美の笑った顔、やっぱりいいね。よかった」とささやいたのを、私は聞いていたから……。
奈美は仕事場の休み時間もひとり、駐車場の一番奥に置かれた物置に背を預け、いかにも窮屈そうにしゃがみこみながら、携帯電話を見つめて過ごしていた。当然私には知る由もないことだったが、彼女はその時、携帯電話でかつて撮りためた、幼くしてこの世を去った我が子である光の画像を見つめていた。それらの画像はこの後、彼女から見せてもらうことになる。携帯電話は彼女と光の、まばゆいばかりに幸せな画像で溢れていた……。
そんな奈美の姿に、自分の車のそばで休み時間を過ごしていた私は気づいた。携帯電話を見つめる彼女のさびしげな横顔が気になってしかたなかった。やがて私は米粒よりも小さな勇気を振り絞って、そんな窮屈な恰好じゃかえって疲れるから、私の車の座席に座って休まないか、と声をかけた。みずからにかけていた呪詛を、はじめて振り払った瞬間でもあった。
困惑の末、奈美は私の申し出を受けた。私の車の運転席から、仕事場裏を流れる春の川と土筆の揺れる土手と芽吹く時期が来るのを待っている向こう岸の桜の木々を眺めた時、彼女は深呼吸をした。
こういうの、ずっと忘れてたな……。
奈美はつぶやき、私に笑みを浮かべてくれた。彼女の笑顔を見るのは、その時がはじめてだった。その日以来、私たちは仕事場裏を流れる川の流れを眺めながら、ふたりだけで休み時間を過ごすようになった。
それが、私と奈美のはじまりだった……。
「……関村さん」
車いすのアームレストに肘を突き、顔を手で覆ってうつむいていると名を呼ばれた。はっとして顔を上げると、先ほど問診票を持ってきてくれた看護師が、心配げに私を見つめていた。
「あの……どこかお具合でも?」
「あ、いえ、大丈夫です。すみません」
慌てて返事をした私は、手の甲で目元を二度拭った。瞼と眉が重くなっていた。気づかないうちにかなり強く目を閉じ、顔をしかめていたようだ。
「すみません、お待たせしてしまって。どうしても混んでしまって……。体調が悪い時は遠慮なくおっしゃってくださいね」
すみません、ともう一度詫びを告げると、看護師は受付に戻っていった。待合室はますます混み合い、子どもたちの歓声や泣き声で賑やかになっていた。
……光の墓参に、一度だけ奈美に連れて行ってもらった。
奈美と出会ってからはじめての夏休みだった。山あいの寺の、広大な墓地の坂道の途中にその墓はあった。
そこではじめて、私は光と出会い、語ることができた。
奈美の過去を彼女から話してもらったのはその夏休み直前、いつも私たちが休み時間を過ごしていた職場裏の川の見える駐車場でだった。翌日から休みということもあってか上司も同僚も足早に帰っていき、その時に職場にはすでに誰もいなくなっていた。
奈美の父は彼女が二歳の時、肺がんで亡くなった。以来、奈美は母の手ひとつで育てられた。奈美の母はパートを掛け持ちし、グラフィックデザインの専門学校にも通わせた。そして二年後、奈美は無事学校を卒業し、デザイン事務所への就職も決まった。
これから母に楽をさせてあげたい。
そう思って奈美が働きはじめた矢先、母は突然逝ってしまった。心不全だった。母がその数年前から不整脈を患っていたこと、心配させたくないからと、そのことを娘には秘密にしていたことを母の主治医から聞かされたのは、母の死後のことだった。
ひとりきりになった奈美は、気がつくと取引先に紹介された男性との交際がはじまっていた。最愛の母親を突然の死で失った直後の「心がからっぽ」になっていた時期だった。
ほどなくその男性との間に子供を授かり、それを機に正式に結婚した。生まれた男の子に「光」と名づけたのは奈美だった。まわりを明るく照らしてあげられるようなひとになってほしい。そんな想いを込めた、と奈美は語った。奈美の仕事や育児方法をめぐって夫や義父母との関係に苦しむ中、光と触れ合う時だけが彼女の支えだった。
しかし光は二歳半を迎えようとしていたある日、不慮の事故で幼い命を終えた。
そのことがきっかけで夫や義父母との関係はますます悪化し、疎遠になった。光という支えを失った奈美は、最後には夫と離婚した。ちなみに前夫はその後別の女性と再婚し、一女にも恵まれたようだ。
それ以来奈美はひとりきりで生きてきた。光の眠る寺の近くにある古いアパートに移り住み、月命日の墓参と最低限の買い物以外ではほとんど外出することなく、新しく就職した職場でも誰とも関わらず、休み時間は駐車場の片隅で、携帯電話の光の画像を見つめてひとり過ごした。
会いたかった。
友達になりたかった。
光の墓に向き合っていたら胸の奥から、自分でも思いもよらなかった言葉が次々と溢れた。あたりには蝉の鳴き声が響き渡っていた。そして光に語りかけ続ける私を、奈美が見つめ続けていた。
だが光にはそれ以来、奈美も私も会っていない。
奈美の前夫の家族が北関東の県に引っ越したのを機に、光の眠る墓もその隣県に改葬され、永代供養された。その住所を書いたメモを奈美は前夫から受け取っていた。
しかし、墓参に行きたいと申し出ることはなかった。私は奈美が望めば、いつでも共に墓参に行く心づもりはできていた。彼女がひとりで行きたいと言えばそれでいい、とも考えていた。
会いに行ってみないかと、一度だけ誘ったことがある。だが奈美はその時うつむき、唇をきつく結んだまま、なにも答えなかった。その重い表情にそれ以上私もなにも言えなくなってしまった。以来その話題は封印した。奈美もやはり光に会いに行きたい、とは口に出さないままでいる。前夫から渡されたメモも封筒に入れて引き出しの奥にしまったまま、そのままになっている。機種変更して実際に使うことはなくなったが、ちゃんとその後も動かせるよう充電器も替えのバッテリーも、画像のバックアップのUSBメモリーも揃えた、光の画像で彩られたあの携帯電話と共に……。
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