宝物

 女の子の両脚が動かなくなって、車いすに乗るようになったばかりの、ある秋の日。
 女の子はお母さんに車いすを押してもらい、病院の外にお散歩に出かけた。病院からお出かけするのは、脚が動かなくなってからはじめてのことだった。
 看護師長さんから「おさんぽ、いいねえ」と声をかけられた。女の子は照れ、赤い野球帽をかぶりなおした。野球帽はお兄ちゃんが今日の散歩のため「かしてあげて!」とお母さんにあずけたものだ。広島カープというプロ野球のものらしいが、女の子には全然わからなかった。
 病院を出るとすぐ、イチョウの並木道が伸びていた。
 きれいだね。
 お母さんがつぶやいた。女の子がみあげると、秋の光を浴びた黄色いイチョウの葉がきらきらまぶしかった。
 やがて美術館前広場に着いた。広場もイチョウの黄色い葉に包まれていた。お母さんはベンチのそばで車いすをとめると、あたたかいココアを買ってきてくれた。病院にいるとなかなか飲めないので、女の子はついにっこりしてしまった。
 広場の向こう側で、おない年くらいの女の子たちが遊んでいた。ふたりがなわとびをし、ふたりがベンチで絵本をいっしょに読んでいた。女の子がその子たちを見つめていると、絵本のふたり組が女の子に気づき、ちょっと変な顔つきになった。女の子はとっさに目をそむけた。ココアの甘さがうすくなった気がした。
 その時、強い風が広場を吹き抜け、女の子の野球帽が脱げてしまった。帽子は男の子用だったので、女の子には少し大きかったのだ。
 向こう側で遊んでいた子たちの視線が、いっせいに女の子に集まった。
 女の子は髪が、ほぼすべて抜け落ちてしまっていた。
 手術後の細菌の繁殖を防ぐため、放射線治療を受けていたからだった。
 お母さんがあわてて帽子をひろい、女の子にかぶせた。女の子は帽子を両手で押さえつけると、そのまま顔をふせてしまった。遊んでいた子たちの目は、注射や採血や点滴の注射針みたいにとがって痛かった。
 かえりたい。
 女の子はつぶやいた。お母さんは、そうだね、と車いすを押しはじめた。
 病室に戻ると、お母さんは女の子を車いすから抱きあげ、ベッドに座らせた。女の子はすぐ野球帽を取った。
 このぼうし、おにいちゃんにかえして。
 女の子はそれだけを言うと、ベッドに横になった。

 それから一週間後、またお散歩していいって、とお母さんに言われた。でも女の子は、いかない、と、首を振った。その拍子にまた髪の毛が数本、女の子の肩に落ちた。
 するとお母さんはロッカーから紙袋を取り出した。女の子に渡すと、開けてみて、と微笑んだ。女の子は袋の中身を取り出した。
 わあ。
 女の子は思わず声をあげた。
 黄色い、毛糸の帽子だった。
 おかあさんがつくったの。女の子がたずねると、お母さんはびっくりさせようと思ってないしょでね、とまた微笑み、女の子に帽子をかぶせた。
 毛糸の帽子は女の子にぴったりだった。髪がないのもこれならわからない。なにより、とってもあたたかかった。
 おさんぽ、いくでしょ。
 女の子は大きく、うん、とうなずいた。


「ねえ、お母さん」
 私は言ってから母の淹れてくれたお茶をすすり、思わず顔をしかめた。母のお茶は舌がきゅっとなるくらいに渋い。でもそれが美味しい。
「散歩にでも行かない?」
 母はテレビから振り返った。渋い顔をしている私を見てふっと笑った。
「天気もいいし、体調もよさそうだしさ」
 母はそうだねえ、と窓の外に目をやった。こけてしまった頬も、湯呑みを持つ手が骨と皮だけになってしまったのも、もう見慣れた。
 乳がんが発覚して一年。
 体調の悪さを隠してスーパーのパートを続けたため発見が遅れた。余命を母は聞かなかった。最後まで生ききるから。以来、抗がん剤治療を続けている。かなり辛いはずだが、私や父、兄の前では絶対顔に出さない。昨日から外泊の許可をもらい、家で過ごしている。
「どっか行きたいとこ、ある?」
「じゃあ……。篭田公園がいいかな」
「いいね。今、イチョウの黄葉、すごくきれいだよ」
 私と母は早速身支度をした。私は広島カープの野球帽をかぶった。ファン歴二十一年。兄の影響だ。放射線治療が終わると髪はすぐ元に戻った。
 母は今までつけていた医療用ウィッグをはずし、かわりに黄色い毛糸の帽子を、ほぼ髪の抜けた頭にかぶせた。
 小さい頃母が作ってくれたものを今回、母に合うよう私が編み直した。「まだ持ってたの」驚いた母に「私の宝物だもの」と答えた。
 身支度をおえると、私たちは玄関に出た。私が車いすに乗り移ると、母は背もたれのグリップに手を添えた。今、車いすは母の杖代わりだ。母のペースに合わせてタイヤを回した。
 ほどなく公園に着いた。秋の光を浴びた黄色いイチョウの葉がきらきらまぶしかった。
 きれいだね。
 母は微笑み、あの散歩の時とおなじ言葉をつぶやいた。



この作品は、本日開催されました「noteハンドメイド交流会(通称noハン会)で企画されました、「ハンドメイド」がテーマの創作文学小冊子に寄稿したものです。

この会にはnoteで出会った大切な方々が、文字通りハンドメイドで、でも全身全霊、まごころこめて開催された、本当に素晴らしい会でした。

私はさまざまな事情で参加できませんでしたが、こころだけ皆さまのそばにいるような気持ちでこの日を過ごしていました。

私の拙い作品が、皆さまと並んで冊子になるのが、とても誇らしく思われました。

で、突然ですが、この作品をいい区切りとして、少しだけnoteをお休みさせていただきます。

体調(いちばんはやはりこれです)、仕事、その他「これから」を考えなければならなくなり、それにくわえてnoteまで、となると、私のちいさなコップはあっという間にあふれかえってしまうので。

ただ、やめるわけではないです。余裕あるときは、皆さまのところに、ちょろっとおじゃまさせていただくかもしれません。

では、また前触れもなく浮上した時は、どうかよろしくお願いいたします!

いただいたサポートは今後の創作、生活の糧として、大事に大切に使わせていただきます。よろしくお願いできれば、本当に幸いです。