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だからこそ生き抜く #手書きnoteを書こう

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へたくそな字で申し訳ありません。でも、書かずにはいられませんでした。

先週末、職場の新年会がありました。体調不良でこういう場にくるのは久しぶりだったので、普段なかなか会うことのない別部署のかたと楽しく話していました。

会もまもなく終わろうという時、会場の隅がなにやらざわつきはじめました。事務局の男性の具合が悪くなっているようでした。その男性は以前、脳の重い手術から回復されたひとでした。

隣のひとから口元にふきんをあてられていたので、気持ち悪くなったのかな、とはじめは思ったのですが、よく見ると顔が蒼白で、目の焦点もあっていませんでした。用意された紙袋にも吐くことができません。

男性陣が集まってきました。このあたりから会場の空気がかたまりはじめました。男性を床に寝かせ、人工呼吸と心臓マッサージがなされました。男性の名を何度も呼びましたが、返事はありません。ふきんをあてていた女性職員が涙ぐみはじめました。「○○さん、起きて」と、どこかで女性の声がしました。

ほどなく、救急隊員が到着しました。AEDによる蘇生がすぐ行われました。「患者さんから離れてください」機械的なその声を聞いたのは去年秋、通院している病院で急変した患者に医師が使用した時以来でした。

蘇生をしばらくその場で行いましたが、男性の意識は戻らず、担架で運ばれていきました。会場から出ていく時、「がんばれ!」と、今度は心臓マッサージをしていた男性職員が叫ぶように言いました。

そして週明けの今日。

男性の急逝が伝えられました。享年三十半ば、妻と幼いお子さんふたりを残しての旅立ちでした。

大げさかもしれませんが、「死」を感じたことが二度ほどあります。このまま意識をなくしたらきっと、と、救急車のなかや検査室へ向かうストレッチャーの上で思いました。

そんな時、自分はどうしたか。必死に生きようとしたんです。歯をくいしばり、息を強く繰り返し、シャツやストレッチャーの柵をつかみ。この世界にあるものにしがみつき、意識をとどまらせようともがいたんです。死にたくなくて。

いや、今思うと死にたくない、だけではなかった。最後まで生き抜こうとしたんです。最後までこの世界にいようとしたんです。

その時、浮かんだのは家族の姿でした。

つい先日も、大切なひとの愛するご家族が旅立たれました。

急逝された男性も、大切なひとのご家族も、最後の最後まで生き抜いたのだ、と私は思います。だって自分が愛するひとたちがいるから。そうすぐには旅立てない。愛するひとたちのために、最後の最後まで生き抜いたのだと信じたい。

それを「死」と、私は言いたくない。

最後まで「生き抜いた」と言いたいのです。

だいすーけさんの企画である「手書きnoteを書こう」。実は最初、参加の予定はありませんでした。もしかしたら企画の趣旨に反したものを書いたかもしれません。だいすーけさん、すみません。

ですが「生きることとは」「死ぬこととは」を考えさせられることが続きました。男性が蘇生を受けながら生きようとした姿、大切なひとのご家族の旅立ちのしらせ。

気がつくと、手元のノートに文字を書いていました。スマートフォンやPCではなく、手書きで。理由はわからないけど、それでかまわないと思っています。きっとこの言葉は手で書かれるべきものだったのでしょう。

今夜は男性と大切なひとのご家族のため、黙祷させていただくつもりです。ご冥福を祈り、最後まで生き抜いたことにこころからの尊敬を送りつつ。










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篭田 雪江(かごた ゆきえ)
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