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自分のからだに「意味」なんてない

 十数年前に書いた日記のデータを見つけました。

 このような病の方がいらした、そして今も、おなじ病と闘っておられる方がいるのだろう、ということをなるべく多くの方に知っていただきたいと思い、少し長くなりますが加筆、訂正して以下に記します。

 彼女が今どうしているかは、もうわかるすべがありません。ただ少しでも元気で生きていてくだされば、とひたすらに願うばかりです。


 ………


 先日、印象に残るドキュメンタリー番組を観た。

 この番組で紹介されていたKさんという女性は、『化学物質過敏症』という病気にかかっている。

 この病気は、身の回りにある化学物質に身体が過敏に反応し、さまざまな症状をひきおきしてしまう病気だ。Kさんの場合、症状がひどいらしく、12年前から手足の冷え、頭痛、しびれなどに悩まされ、今は筋力も弱ってきて車椅子の生活を送っている。

 彼女の日常というのが、壮絶だった。

 生地や染料に含まれる化学物質をのぞくため、服を手洗いで何度も何度も洗う。ちらし、伝票、はがきなどを屋外に洗濯物のように干す。インクに含まれる化学物質をのぞくためで、読むのに一週間以上かかる場合もある。外出も控え買い物も主に通販。食べ物は添加物の含まれていないもの。目に見えない化学物質から逃れるために、あらゆる手段を講じている。それでも全ての化学物質から逃れることはできないようで、番組中でも突然発作を起こし、咳き込み、ぐったりと横たわる姿が映し出された。

 身体の不調が出てからも、長い間原因がわからなかった。身体の症状をすべて告げても「そんなのありえない」と信じてもらえなかった。受診した病院の数は40を超えた、と彼女はテーブルの上にトランプのように診察券を広げた。

 とにかく病名がほしかった

 そう彼女は思ったという。ある病院で「化学物質過敏症」と診断されたのは、発症から11年がたってからだった。

 不調の原因がわかり、ようやく治療をはじめようとしたが、一歩目からつまづく。薬の中のわずかな化学物質にさえ反応をおこし、身体が薬をうけつけないのだ。もらった薬をすりこぎですりつぶし、ほんのわずかな粉をなめ、身体に合う薬を模索する。医師から食物アレルギーの併発を指摘され食事をチェックすると、大豆とごまにアレルギーがあったことが判明。ようやく治療へのスタートラインにたったというところで、番組は終わった。

 私が観て一番印象的だったのは、彼女の表情や姿そのものだった。

 その表情には病気に対しての深い絶望感も、「病気と共に生きていく」といった前向きさもない。あるのはただ現状を過不足なく受け止め、今できることを淡々とこなしていく冷静さだけ。インタビューに答える彼女の表情には表立った感情の浮き沈みはなく、判決を読み上げる裁判官のような冷徹ささえ感じられた。


 ………


 私はこの病気で何かを学んだ。

 生まれ変わってもこの障害を持った私でいたい。

 自分を障害者だと思ったことは一度もない。

 そんなふうに考えられるのは、まったくそのひとたちの自由である。私が口出しするようなことはない。うらやましいとさえ思う。私もそうであれたら、と。

 でも私は軽々しく、そんな前向きにみずからの障害をとらえられない。

 言うまでもなく、弱く、情けなく、醜い人間だからだ。

 私は自分のからだに「意味」なんてない、とずっと思っている。

 熱いとも冷たいとも、痛いとも感じない。歩くことも立つこともできず、車いすに乗っている。

 ただそういう現実があるだけ。そこになにがしかの「意味」があるとは、どうしても考えられない。

 その点、彼女も自分の現状に「意味」など見出していないように、勝手な想像に過ぎないけど私には見えた。

 ただ生きる術として彼女はハガキを天日干しして一週間後に読み、洋服を何度も何度も手洗いし、薬をすりつぶして飲む。もちろん葛藤はあったはずだ。思い悩み、苦しんだこともあったろう。だが彼女はそんな「意味」から抜け出し、今目の前にある病気という「事実」に淡々と、真正面から向かい合っていた。

 その姿は実にすがすがしかった。美しい、とさえ私は感じた。

 番組のラスト、治療への足がかりをつかんだ彼女は「いつかアレルギーの人でも泊まれるようなペンションでもできればいい」と夢を語っていた。冷静だった彼女が浮かべた、はじめての笑顔だった。

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篭田 雪江(かごた ゆきえ)
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