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「わたしには時間がないんですよ」と、彼女は笑った。

※本文は投げ銭制です。全文無料で読めます。

お茶さんとふらにーさんの交換日記である「エンドロールの気持ちを教えて」を、午前中洗濯機をまわしながら読みふけった。

理不尽なことの多い仕事のこと、恋人と友達の関係性、好きな映画の感想…ふたりのバトンの交わしあい。そこには共に二十代女性(こういう言い回しは好きではないが)であるおふたりだからこそ感じる悩みや悲しみ、決意と情熱が、彩り豊かで瑞々しい文章(おふたりとも本当に文章が巧みでうならされてしまう)で描かれている。

そんななか、特にひき込まれてしまうのは、やはり恋愛のことだった。おふたりの恋愛話を読んでいるうち、ひとりの女性のことが自然と思い出されてきた。

その女性は職場の同僚である。年齢はおふたりより少し上の三十代前半。職場にきてもうすぐ10年になるだろうか。

彼女は進行性の持病を抱えている。詳細は聞いていないが、多分ALSのような、筋肉が徐々に衰えていく病気だ。発症したのは小学校高学年。高校まではなんとか補装具で歩けていたが、職場にきた時にはもう車いすに乗っていた。

彼女の特徴をひとことで表すと、明るさのかたまり、である。とにかく笑う。変に口に手をあてたりせず白い歯をこぼし、車いすとおなじ赤い眼鏡の奥の瞳をきらきらさせて。

人見知りもまったくしないので、男女年齢問わず人気があり、休憩時間や廊下ではよく話しかけられている。もうすぐ還暦の男性とも、後輩の女性とも話し、そして白い歯をこぼして笑う。

私も彼女を含めた近しい同僚数人でよく飲みや食事に行かせてもらった。アルコールが入ると笑い上戸になると言っているが、普段からそうなのであまり感じない。それはともかく、彼女がいるそんな席はいつもはなやいでいた。楽しい酒だった。

そんな彼女と私は、実は昼休みの食堂の席が向かい合わせだ。まあお互い車いすなので座りやすい席に、とあてがわれたのだが、私からしたら楽しい昼飯になるのでありがたいばかりだ。

少し前のことになる。職場に男性新人が入ってくるね、といった話題になった。私は冗談で「もしそのひとが○○ちゃんにひとめぼれしました、なんて言ってきたりしたらどうする?」なんて言った。

すると彼女は両手でなにか紙みたいなものを差し出すしぐさをし、「そうなったら次の日に、これにサインとはんこをお願いしますって頼みます」と答えた。紙は婚姻届だった、

私が「それ、いくらなんでもはやいんじゃない?」とつい吹き出すと、彼女は続けて左手の甲のあたりを右手の指でぽんぽんと叩いた。そして言ったのが、タイトルの言葉だ。

「わたしには時間がないんですよ」

彼女の顔にはいつも通りの笑顔がはじけていた。

彼女の持病は、職場にきてからも少しずつ悪化している。

行き帰りの送迎は母親にしてもらっていて、以前は車いすから立ち上がって助手席に座っていたが、いつからかそれが難しくなり、車に後付けしたリフトで、車いすごと乗らねばならなくなった。

膝間接の動きが悪くなり、好きなジーンズやパンツの上に、無骨な補装具を膝にあてがわなくてはならなくなった。膝の筋肉低下をやわらげるための治療のため、ここ一、二年で数回短期入院もした。

数年前からは仕事帰り、リハビリ施設で介助を受けながらの入浴サービスを受けるようになった。

これは聞いた話だが、トイレで車いすから転倒してしまい、なんとか携帯で助けを呼んだ後、そのまま早退した日もあったらしい。

職場にきたばかりの彼女との言葉を、今も覚えている。昼休み、食堂で彼女と私を含む何人かでそれぞれの年齢の話になった。彼女が自分の年齢を答えると、隣にいたベテランの女性が「いや若いなあ、いくらでも彼氏なんかできちゃうね」とうらやましがった。それに彼女は応じた。「ええ、できるかなあ」あの笑顔をこぼしながら。ベテラン女性はできるに決まってるじゃん、と保証したが、それから彼女に恋人ができたという話は、今になるまで少なくとも自分は耳にしていない。

「わたしには時間がないんですよ」

この言葉には、どれくらいの意味が込められていたのだろう、と今でもふと考える時がある。

単純に年齢のことを指しているのか。確かに恋愛、もしくは結婚願望があるなら、焦りみたいなものがあってもおかしくない。

でも、とそこでつい勘ぐってしまう。時間がないとは、それだけの意味なんだろうか、と。

もし、少しずつ悪化していく自分のからだのことを、言葉に含ませていたとしたら。

そんな思いがよぎったから、彼女がその言葉を口にした時、私はなにも答えられず、ただ曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。妙な冗談を言った自分を殴りたくなった。今もその時の悔やみは胸に澱んでいる。

そして思ってしまう。彼女が「普通」のからだだったら、どういう生き方をしていただろうか、と。

こんな施設めいた職場ではなく、もっともっと自分を活かせる仕事に励んでいただろうか。

好きなひとができ、手をつないで歩き、あの笑顔をはじかせていただろうか。そして永遠に終わってほしくない夜を過ごしただろうか。

失恋してベッドにうずくまり泣き、友人とやけ酒を飲むこともあっただろうか。

生涯を共にする相手にめぐりあい、白いドレスに身を包み、たくさんのひとたちから祝福されていただろうか。

そのひととの間に、自分よりもかけがえのないいのちが、うまれたりしただろうか。

わかっている。こんな彼女にあったかもしれない未来の想像なんて、すべきじゃない。封印すべき「たられば」だ。

第一、今からどうなるかなんてわからないじゃないか。これから転職し、もっといい仕事に就くかもしれない。恋人だってできるかもしれない。結婚だってそうだ。聞いていないだけで、付き合っているひとがもういるかもしれない。だってあれだけ誰からも愛される彼女なのだから。

それでも、それでも、私の胸からあの言葉が離れてくれない。あの笑顔と共に、深く刻みつけられてしまっている。

「わたしには時間がないんですよ」

ここまで書いて、お茶さんとふらにーさんに悪いことをしてしまった、と思っている。もしたしたらおふたりに、感じなくてもいい引け目を感じさせてしまったかも。まだおふたりはいいじゃないかと、嫌みに聞こえてしまったかもしれない、と。

そんな意図はまったくなかった。ただおふたりのやり取りをみているうち、真っ先に考えたのが彼女のことだった、という話だ。

でも、これはやはり言い訳にしかならない。おふたりの気分を害してしまったかもしれない。そうだったら、心より謝罪させていただきます。本当にすみません。

ただ、これだけはまちがいない。今も彼女は笑っている。誰からも好かれ、明るくしゃべっている。胸にどんな感情をいだいているかはわからないけど、笑顔は出会った時から変わることはない。

その笑顔を浮かべる彼女のちからを、生き方を、私はまごころを込めて称えたい。そして信じている。

○○ちゃん、あなたは絶対、幸せをつかむから、と。








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