かごしまスケッチ p2 : 名山町〜深煎りコーヒーのような闇
名山の夜は暗い。
家家は深々と闇に沈んで、すれ違う人の顔も見えないほど。道で誰かと会うことはなかったけれど、実際そうだと思う。逆に暗いと見えてくるものがあって、それは店の灯だ。
2軒目のおでん屋を出たとき、名山堀の路地はまだほんのり明るくて、夜に切り替わろうとする時だった。3軒目のクラフトビールの店を出たとき、すでにとっぷり日は暮れて、店のドアから半径1メートル先は闇。とはいえ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で描かれる、やみくろの潜む東京の地下壕のような邪悪さはなくて、いってみれば深煎りのコーヒーを淹れた後の澱のような、安堵できる心安さがあった。
1ブロックも行かないうちに、ガラス窓の向こうの控えめの照明とアルファベットが書かれた白い看板が浮かび上がった。一緒に歩いていた家族がちらっと覗いて「さっきの店にいた男の人がいる」とおもしろそうに言う。クラフトビールの店のカウンターで並んで座った、ダンガリーシャツを着た男性だという。彼は先に店を出たけれど、同じ闇の中を歩いてこの店に吸い込まれたのだ。
そんなことを考えていたらシェフが表に顔を出し、ここはイタリアンの店なのだと教えてくれた。となると、彼は今夜のメインを食べているのに違いない。
なんて優雅な日曜の夜の過ごし方だろう。
実はもう一人、優雅な夜を過ごした人を知っている。
クラフトビールの店に入ったとき、おでん屋に寄ってから来たというと、そういえばさっき来ていた女性も、おでん屋から来たと言っていましたよ、という。私たちの向かい側に座っていて、お会計のとき、ルイ・ヴィトンのマフラーをして、丁寧に送り出されたあの人だろうか。
1つ突いたら1つ出る、ビリヤード台の玉になったような気がしたけれど、この街に来る人は、コーヒーの澱の闇の中をひとり歩き、気分に合わせて良き店を訪い、月曜からの英気を養うのだ。
この日はすでに3軒梯子していたから、また来ますとシェフに挨拶をして、コーヒーを飲むために天文館方面へ歩いた。道すがら、頭の中ではルイ・ヴィトンのマフラーの女性とダンガリーシャツの男性がいつかこの街のどこかで出会ったら…というお節介な妄想が止められない。
すでに知り合いかも知れないけれど。