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藤原不比等 3 藤原不比等終焉の地は奈良県大和郡山市の稗田環濠集落である

藤原不比等 3 藤原不比等終焉の地は奈良県大和郡山市の稗田環濠集落である
2020年5月1日(金)
武部さんが賣太神社のことを書いているので、私に響いてくることを書いてみます。下の赤い図形は、藤原不比等の墓と四国八十八番札所の大窪寺と賣太神社(めたじんじゃ)の三点を結んだ直角三角形です。黄色い図形は、藤原不比等の墓と八十八番札所と不比等の長男である藤原武智麻呂の墓とを結んだ2:1:√3の直角三角形です。青色の図形は、藤原不比等の墓と八十八番札所と高野山弘法大師廟とを結んだケプラー三角形です。これらの三つの図形は、藤原不比等終焉の地と藤原不比等の墓を教えています。藤原不比等公の終焉の地は、稗田の環濠集落である。
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昭和47年、当時本社が西宮北口駅前にあった住宅会社に入社して私が社会人となって初めて赴任した現場が、奈良県大和郡山市の稗田環濠の入り口でした。当時は稗田村と呼ばれていました。入社して最初の会社の寮は、西宮市の仁川の近くでしたが、次が大和郡山でした。会社が借り上げた文化住宅でしたね。そこから稗田の入り口にあった完成予定1000戸ほどの分譲住宅地入口にあった事務所へと、自転車で10分ほどの田んぼの中が第二の住まいでした。その当時、稗田環濠には一度も行ったことがありませんでしたが、三年前、武部さんと初めて稗田へと行くのにドキドキし、そして何か懐かしく、でも不思議で不思議で仕方ありませんでした。
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んん~~ん本当に不思議です。藤原不比等の墓と藤原武智麻呂の墓と三郎岳の三点が直角三角形を描くことも・・。藤原不比等と私、どんな繋がりなのだろうか。
私の人生、あまりにも不思議すぎます。

藤原不比等公の千三百年御遠忌に呼ばれてあれからもう一年が経ちますねぇ。

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