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阿武山古墳の被葬者は蘇我入鹿である
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2022年2月6日(日)私はJR摂津富田まで行き、そこからタクシーで阿武山古墳まで行きました。阿武山古墳は京都大学の阿武山観測所になっていて、入れない可能性があると運転手さんから聞きました。「とりあえず入口まで行ってみて、駄目だったら戻ります」とお願いして、車を発進させてもらいました。車が止まった場所は、運転手さんの言った通り門が閉じられていましたが、門の前で関係者らしき男性がいたので、「阿武山古墳に行きたいのですが、入ってもいいですか」と尋ねました。「いいですよ」と答えてもらいました。タクシーの運転手さんに「何分ぐらいで行けますか?」と聞くと、「10分か15分ほどでしょうかね」と教えてもらいました。それでタクシーの運転手さんに「40分前後で戻ってきますから」とお願いして、門の横から入り、急いで坂道を上って行きました。教えてもらった通りに迷うことなく到着することができました。直ちに参拝を終え、リュックの中から金探査機のコア・ロッドを取り出し、黄金を探りました。するとすぐに強く反応がありました。墓室正面右手には墓室と同じほどの広さが整備されており、その場所に黄金の反応があるとわかりました。時間がないので急ぎ足で調べましたが、約7m×10mの範囲に黄金が埋まっていました。古墳の説明板の内容から推測すると、3mほど掘り下げて墓室を作り、黄金も同じ深さに埋められていると思います。この黄金は、聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿であり、第35代皇極天皇の財宝です。埋葬されていた骨の状態や埋葬品からそれが伝わってきます。おそらく石室の内部には、埋葬者について書かれた文字が残っていたでしょう。黄金をできるだけ早く取り出し、適切な場所に安置して祀らなければなりません。藤原鎌足の墓は鎌足公古廟であり、そこから第50代桓武天皇が交野に移しています。いつでも証明できます。夜明けが近づいています。急いでください、と天界からの声が響いてきます。
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