仁徳天皇の墓は、兵庫県福崎町田口
仁徳天皇の墓は、兵庫県福崎町田口で、白い大理石で覆われています。
『古事記』に第16代仁徳天皇の有名な歌があります。
於是天皇 戀其黒日賣 欺大后曰「欲見淡道嶋而」 幸行之時 坐淡道嶋 遙望歌曰、『淤志弖流夜(おしてるや)、那爾波能佐岐用(なにはのさきよ)、伊傳多知弖(いでたちて)、和賀久邇美禮婆(わがくにみれば)、阿波志摩(あはしま)、淤能碁呂志摩(おのごろしま)、阿遲摩佐能(あじまさの)、志麻母美由(しまもみゆ)、佐氣都志摩美由(さけつしまみゆ)』乃自其嶋傳而幸行吉備國。
(岩波文庫『古事記』1963年、158頁)
ここに天皇、その黒日賣を戀いて、太后を欺きて日うに「淡道島を見むと欲す」と。幸行(い)でましし時、淡道島に坐して、遙に望み歌いて曰く。
「押し照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が國見れば 阿波志摩(あはしま) 淤能碁呂志摩(おのごろしま) 檳榔(あじまさ)の島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ」
すなわちその島より傳いて、吉備國に幸行(い)でる。 (読み下しは泉城による)
難波野(宮津市)・・ここには、眞井神社・籠神社があります。
仁徳天皇の国見の歌の場所は、丹後半島の太鼓山でした。
太鼓山が決定的証拠と言えるのは、
卑弥呼の居城の入炭山と光通信ができることである。
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