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不死鳥のあしあと

不死鳥のあしあと
 神々はこの日本の大地に
   世界が平和になれる仕掛けを
      残してくれていました。   
              上森三郎

目 次
前書き 1
3 それは3本の十字架から始まった
4 黄金比の十字架
世界の聖地「埴岡の里」 5
 供えられた水・亀ヶ壺
7 神棚の榊・1対のメノラー
8 女神ハトホルの地上絵
9 鶴と亀・魚・玄武
10 埴岡の里の地上絵全図
11 八幡山ピラミッド
12 イエス・キリストの生命の樹
14 絶峯御林と古城山御林
15 絶峯はイエスを、古城山はモーセを祀る山
16 モーセの地上絵
女王卑弥呼と邪馬壹国 17
18 卑弥呼の墓・婀月山
19 卑弥呼の墓はこと座のベガ
20 卑弥呼は初代斎王だった
21  瀬織津姫、弁財天、卑弥呼
22 邪馬壹国とオリオン座
23 オリオン座の山々
24 七福神の航路
25 使節は対馬に上陸した
26 折鶴
イエス・キリストの三つの陵墓 27
28 空海様と最澄様が守るイエスの公的な陵墓
29 イエス・キリストの本当の墓
30 イエスの墓の景観
31 イエスの陵墓を守る磐座
32 ベテルギウスは赤く輝く
33 イエス王家の墓・天神山
34 橿原神宮の不思議
イエス・キリスト終焉の地 35
36 イワナガヒメの神社とハート形の山
37 十字架の山
38 イエス終焉の地の風景
千山の九福神と日本の七福神 39
40 千山・雁塔の九福神
41 八福神のレリーフ
42 八福神の壁画
43 埴岡の里に七福神が祀られている
44 不思議な光の写真
マリアの墓は岡山県美咲町にあった! 45
46 マリアの墓 発見への道
47 「祖母」とは誰のことなのか
48 マリアの墓の風景
モーセの墓は丹後半島にあった! 49
50 モーセの墓 発見への道
51 竹野神社
52 モーセの墓と依遅ヶ尾山
53 モーセの墓から描ける図形
54 銅鐸は測量機器
淡路島の勾玉山はアブラハムの墓! 55
56 勾玉形の山を発見!
57 アブラハムの墓の神木
58 神野山の王塚はテラの墓
59 桓武天皇も祈った仙境・交野山
60 テラ、アブラハム、モーセの三角形
61 竹生島と曽爾の亀山
62 亀山から鎧岳へ
空海様の隠された生涯 63
64 空海様の生誕地は星の岩屋
65 アークは剣山から埴岡の里へ
66 奥鎗戸のピラミッドを中心に等比数列の図形が出現した
67 空海様の亡骸は移された
68 空海様のルーツに迫る
チーム空海が造った「日月の山」! 69
70 麻賀多神社は御所を結ぶライン上にあった
71 息栖神社は淡路島の勾玉山を向いていた
72 ついに「日月の山」が姿を現した
神社・寺院で祈れば… 73
74 大聖寺(岡山県美作市)
75 比叡山延暦寺
76 香寺町土師・大年神社
77 姫路城
78 城の描く図形
後書き 79
後書き
私は、過去も現在も、どんな宗教にも関わりを持ったことがない。
これからもその姿勢に変わりはない。
そんな私が、2010年8月11日、ちょうど56歳と7ヶ月目のまさにその日に、福岡の宗像大社で目に見えない存在からの声を聞いた。その時から摩訶不思議な世界へと誘われて来た。
不思議な声に導かれ、最初は伊勢神宮から兵庫県中央部に伸びる十字架を、そしてさらに2本、合計3本の大・中・小の十字架を描かされた(本書3ページに掲載)。
全てはこの3本の十字架から始まったのだ。
それからまる7年が経った。
最初は自分が何をやっているのか、目に見えない存在から何をやらされているのか、全く分からなかったのだが、ここに来て、その意図ははっきりと分かってきた。
目に見えない存在は、「この日本の歴史は世界の中で最も古く、『世界文明の起源は日本』であること」を教え続けていた。
この日本は、アブラハムの父テラから始まり、アブラハム、モーセ、イエス・キリストもこの聖なる日本を拠点にして、地球的視野で助け合い生きる世界を希求し続けていた。
彼らはこの日本の大地に埋葬され、しかもその陵墓の位置(そして本当の歴史)が後世の人に分かるようにと、夏の大三角形やオリオン座などの星座をこの大地に降ろして位置決めしていた。
その後の王や賢人たちも、これらの重要な陵墓に三角法を使って関連づけて、自分の墓の位置決めを行うことで、この大地に足跡を残した。
山、墓、磐座、神社、寺院、城等を関連づけるこの三角法の位置決めは、後世まで引き継がれた。
テラ、アブラハム、モーセ、マリア、イエス・キリストの墓がこの日本にあるということを世に知らせるシナリオが、世界を平和に導く神様の計画のようだ。
何世紀にもわたってこの計画を守り伝えた先人たちの御霊も、「私が何をなしたかを世界中の人達に伝えてください」と伝言して消えた女王卑弥呼も、空海様も、この計画の成就を願っていることだろう。

            2017年8月31日
            卑弥呼の誕生日を祝って
               上森三郎

銅鐸は測量機器

銅鐸は、紀元前2世紀から紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した謎の青銅器である。研究者の多くは祭祀に使われた楽器のようなものとしているが、私は「測量機器」であるという説を提唱している。上部にあけられた穴から両目で覗くことによって銅鐸の向きを正確に決めることができるからである。このことによって、他の用途不明の銅器の用途も判明する。「有鉤銅釧」と呼ばれる青銅器は、銅鐸の上部にあいた穴を使って簡単に銅鐸を設置するための「吊り金具」である。それを吊り下げるための紐は、「巴形銅器」から吊るされる。巴型銅器は、予め結ばれていた三脚の紐に巴形の足をからめて、水平方向の微調整をする道具である。そして、銅鐸の内壁に当てて音を出すための道具と言われている「舌」は、実は、銅鐸が地面の「基準点」の真上になるように、銅鐸の中心から吊り下「下げふり」として使われていたのである。銅鐸としばしば一緒に出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として使われていたと考えられる。さらに、光通信にも使われたであろうと推測される。

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ワンダーランドの住人たち

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