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深夜の釣り場事件簿 ~理不尽おじさんと猫の仕業~【実話】

夜の2時。

静かな海面に浮かぶウキがかすかに揺れる。僕は紀州カゴ釣りの仕掛けを投入していた。この釣り場は、地元の釣り人しか知らないような静かな場所だ。足場も広くて安定しており、夜釣りにぴったり。ただし、こうした場所でも油断は禁物だ。時々、変わり者や妙な人が現れることがある。

この日、海のコンディションは完璧だった。潮の流れも良く、開始早々に狙い通りのタマンが釣れた。

「うおっ……でかい!」

リールを巻き上げる手が汗ばむ。力強い引きに耐えながら、なんとか釣り上げたのは45センチを超える堂々たるタマンだった。

クーラーボックスにはすでに2匹のタマンと1匹のコロダイ。今日は絶好調だと満足して竿を再び投入する。静かな夜釣りに心を落ち着けていると、背後に気配を感じた。


「おーい、釣れるかー?」

突然、真後ろから声がした。

「うわっ!」

驚いて振り返ると、そこには見知らぬおじさんが立っていた。暗がりの中、ヘッドライトをつけた僕にニヤリと笑みを浮かべている。

「びっくりするやろ! 釣れとるか?」

釣り場は暗闇に包まれている分、不意に人が現れると心臓に悪い。このおじさん、100メートルほど離れた場所でぶっこみ釣りをしているはずなのに、なぜ僕のすぐ後ろにまで来ているのか。

「いやー、今日はあかんわ。全然やな。」

本当は大物を3匹も釣っているが、この場所を知られるわけにはいかない。おじさんは「やっぱりかー」と残念そうな顔をすると、また別の釣り人を求めて歩き去った。

「なんなんだ、あのおっさん……」

妙な疲労感を感じつつ、再び仕掛けを投入した。


そのおじさんが去ってしばらくすると、またしても異変が起きた。

「ガタガタガタガタ……」

背後から突然、大きな音が聞こえてきた。

「うわっ、なんや……!?」

振り返ると、真っ暗な釣り場の奥、立ち入り禁止の網付近から音が鳴っている。暗闇の中でヘッドライトを向けてみるが、揺れる網と波の音しか聞こえない。

「イノシシか?」

一瞬そんなことを考えたが、この場所にイノシシが現れるとは思えない。夜中の釣り場では何が起きても不思議ではないが、何かが近づいてくる音は確かに聞こえた。

しかし、不気味な音は数十秒ほど続いた後、ピタリと止んだ。

「気のせい……じゃないよな。」

後ろを気にしながらも、結局異常は見当たらず、僕は釣りを再開した。


その後、仕掛けを投げ入れ、じっと待つこと数分。

「おい!おいおいおい!!」

突然、再びあのおじさんが走ってきた。息を切らし、真っ青な顔で叫んでいる。

「竿とリールぱくられたんや!!」

「えっ?」

僕は一瞬意味が分からなかった。

「釣りしとる間に竿ごと無くなっとる! 誰かが盗んだんや!」

おじさんは周囲をきょろきょろと見回し、足元を探し回る。僕も仕方なくヘッドライトで手伝うが、心の中では呆れていた。

「夜中の釣り場で竿放置とか、油断しすぎやろ……」

それでもおじさんは必死だった。まさか100メートル離れた場所から、僕の近くに現れたのもそのせいなのだろう。

「お前、何か見いひんかったか?」

「いや、何も……」

僕の中で先ほどの「ガタガタガタガタ」という音がふと頭をよぎった。まさか――。


しばらく探し回った末、おじさんが「これや!」と叫んだ。

立ち入り禁止の網付近に、ボロボロになった竿とリールが落ちている。おじさんは駆け寄ると、それを抱えるように拾い上げた。

しかし、そこで僕の方に向き直り、じろっと睨んできた。

「これ、君やろ?」

「は?」

さすがに呆れて笑いが出そうになった。

「いやいや、僕ちゃいますって。なんで僕がそんなわけわからんことしますねん。」

疑いの目を向けられてイラッとしつつも、僕は冷静に問いかけた。

「竿、どうやって置いてたんですか?」

おじさんは恥ずかしそうに答えた。

「網に立てかけて、そのまま仕掛けつけっぱなしや……」

「……それ、多分猫かなんかが引っかけたんちゃいます?」

先ほどの「ガタガタ」という音が全て合点がいった。猫か小動物がエサに引っかかり、竿ごと引きずっていったのだろう。

おじさんは少し考え込み、渋々納得したようだった。

「ふん、まさかそんなことがあるかいな……」

そう言いつつも、ボロボロの竿とリールを抱えて帰っていく後ろ姿が少し情けなかった。


僕はというと、その後はもう釣りに集中できなかった。大物を3匹釣って最高の釣りだったはずなのに、なんとも後味の悪い終わり方だった。

「そもそも放置して勝手にうろつくなよ……」

心の中でそう毒づきながら、道具を片付けて釣り場を後にした。

帰り道、僕はふと思う。夜中の釣り場は魚だけでなく、釣り人の奇行や理不尽とも戦わなければならない。

それにしても――

「猫、強すぎやろ。」

苦笑しながら車に乗り込み、ヘッドライトのスイッチを入れた。


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