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スクナヒコナノミコト

日本神話に少彦名命スクナヒコナノミコトという神様の話が出てきます。神産巣日神カミムスビノカミの子、または、高皇産霊神タカミムスビノカミの子という設定で、日本ではオオナムチ(大国主神)とともに国造りに参加。

この神様は天乃羅摩船アメノカガミノフネに乗り、蛾(=ヒムシ)の皮の衣を着て波の彼方から現れ、帰りは草に弾かれ常世に渡ったのだとか。

古代史を調べると、「質」(むかわり)と呼ぶ朝鮮半島(波の彼方)から日本に渡来した王子たちの存在が浮かんできます。なんとなく人質のイメージがするけど、実際は違ったという説も。

新羅や百済が倭国に送った「質」とは、王の代理として倭国に滞在し、倭王とその周辺に先進文物や技術者を贈与して、倭国支配層との関係を強化する、いわば駐在大使のような役割を持った渡来人である。

『渡来人と帰化人』P97  田中史生著

さて、少彦名命スクナヒコナノミコトは字の如く体が小さいのですが、
この人がモデルではないか? という記述をみつけたのが斯麻しま(百済第25代、武寧王)です。

父は昆支こんき王といい、倭王に即位したばかりの興(安康天皇)と関係強化を図る目的で来日。その時、筑紫の島で生まれたのが斯麻しまだとか。
昆支こんきの兄王の身重の妃が母という説もあり)
ところが高句麗の襲撃で百済王が亡くなり、昆支こんきが帰国するも謎の死を遂げ、次の王も死亡。倭からの支援で昆支こんきの子の末多また(斯麻の異母兄弟?)が即位するも暗殺。そして次に即位したのが斯麻しま(武寧王)です。
(百済王家、怖っ😱)

武寧王の治世は20年以上に及び、即位前の継体天皇と良い関係を結びたいと、二人の使者を倭へ派遣し銅の延べ棒200本を贈り鏡を作ったとか。

倭で生まれた百済王が倭の天皇家へ良好な関係を希望し、加えて滞在中「質」(むかわり)として異色の幼子が活躍。(実際には、親や他の王子の手柄)神話に残すモデルとして貢献度や話題性は十分。子供の活躍って受けがいいから。

斯麻しまが着ていたヒムシは、蚕が繭を作ってサナギになるまでの期間、及び羽化した後の成虫も指す。体が小さい=生まれたばかりという考えは、これぞ歴史のロマンです😅

最後までお読みいただきありがとうございました💖

参照:wiki(スクナビコナ)(ヒムシ)
『渡来人と帰化人』田中史生著

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