兵庫県立考古博物館
先日、兵庫県加古川市にある兵庫県立考古博物館に行ってきました。この博物館は、弥生時代終末(約1900年前)から古墳時代初め(邪馬台国 卑弥呼と同時期)の大中遺跡の敷地内に建てられてます。
上の写真は、古墳時代の人が描いた船団の絵をきっかけに古代船を復元したもので、船団の絵の出土場所は兵庫県北部の豊岡市にある袴狭遺跡。
実はこれが一番見たかったのですが、学芸員の方に出土状況を尋ねてみると、崩れやすいあぜ道の補強に使われていた廃材とのこと。
一方、こちらは同じ様に発見された木片で、魚や動物が描かれています。
豊岡市(兵庫県北部)の袴狭遺跡からは、これとは別に人や馬、船の形をした板が一万点以上見つかっており、人や社会の災いを取り除くお祓いに使われたのではないか、と説明がありました。ということは、お祓いに使う呪具の下書きにでも使われたのでしょうか?
さて、博物館のある加古川の大中遺跡の竪穴住居は、北部九州筑後川沿いの仕様にもかかわらず発見された土器は播磨(兵庫)のものだとか。もしも土器の製作者が女性であると仮定するなら、弥生時代後期に北部九州の男性が移住して地元(播磨)の女性と暮らしていたことになる、と資料にありました。
北部九州からわさわざ播磨(兵庫)のこの村へやって来て暮らしたのは非常に興味深いです。当時、そんな人の動きがあったとは新たな発見でした。
その頃(弥生時代末)は倭国大乱と呼ばれる争いがあり、各地で堀に囲まれた環濠集落がつくられ、海を見張る砦もあったそうです。
弥生時代中期の玉津田中遺跡(神戸市)からは、腰に剣の破片が刺さった男性の墓が見つかってます。
こちらは弥生時代の武具。
なお、特別展として県内外から取り寄せた弥生時代から江戸時代までの甲冑の変遷も見ることが出来ました。
弥生時代の戦いを経て、ムラがまとまってクニとなり王が登場、立派な副葬品を伴った王墓が造られます。
こちらは、邪馬台国の卑弥呼が中国の魏に遣使した頃の鏡が出土しています。右側は魏の鏡で、兵庫県北部の豊岡市の森尾古墳から出土。一方、左側は魏と敵対していた呉(中国江南地方)の鏡で、兵庫県南部の宝塚市安倉高塚古墳から出土。ちなみに呉の鏡は、山梨の鳥居原狐塚古墳からも出土しています。
国内が安定してくると、各地の交流が活発になります。県内からは加古川下流沿いから産出する竜山石で石棺などを作り、そりで陸を運ばせ、瀬戸内海からは船を使い、東は滋賀県、西は山口県まで運ばれたのだとか。竜山石は加工しやすく、古墳の石棺だけでなく平城京(奈良)の礎石や飛鳥大仏(奈良)の台座にも使われているそうです。
やがて大陸との交流が盛んになると、馬具や金製品なども入ってきます。
こちらはずっと時代が新しくなり、12世紀平清盛の頃、大和田泊(神戸)の日宋貿易の様子。
さすが港街神戸といったところでしょうか。
最後に、併設する喫茶コーナーで珈琲のお供にクッキーをいただきました。
短い滞在時間でしたが、実際に訪問すると色々な発見があります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
兵庫県立 考古博物館 (hyogo-koukohaku.jp)
開館時間9:00~17:00/月曜、年末年始は休館
入館料大人200円、特別展開催中は500円、高校生以下無料
アクセス:JR三宮から西明石乗り換えJR土山駅まで32分、駅から徒歩15分
(訪問日は猛暑だったのでタクシー使いました/片道1000円😅)
参照:wiki「竜山石」、『弥生時代って知ってる? 2000年前のひょうご』 兵庫県立考古博物館展示図録
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