ピンクの豚
前回のラーメン記事で触れた古代の猪(豚)の飼育について調べていたところ、それらしい記事を見つけました。
大阪の鶴橋にはかつて猪飼野(猪甘部、或いは猪飼部)と呼ばれた地域があり、朝廷に献上する猪(豚)を飼育したと伝えられてます。日本書紀には、飛鳥時代から続く猪飼部を管理する猪使子首という豪族がいたことも記録されています。
ところが、675年の肉食禁止令、そして仏教の教えにより猪飼野は廃れてしまったようです。ただ、今でも猪飼さんという苗字の方がいらっしゃいますので、もしかすると猪飼さんの遠い祖先は朝廷に献上する猪(豚)を育てていらっしゃったのかもしれません。
さらにそれ以前の弥生時代からも、各地の集落跡から豚の骨が出土しています。下郡桑苗遺跡(大分)、菜畑遺跡・吉野ケ里遺跡(佐賀)、池上遺跡・亀井遺跡(大阪)、朝日遺跡(愛知)、池子遺跡(神奈川)は、下あごの骨の形をもとに猪と思われていたのが豚の骨だったと判明。ちなみに、豚は食用だけでなく、農耕儀礼に使われたという考察もありました。
中国では、豚は富と繁栄の象徴とも呼ばれています。多産な豚は一度に十匹ぐらいの仔を産みますから、豊穣や集落繁栄の意味合いもあったかもしれません。豚は、古代日本の繁栄に影ながら貢献していたのかもしれませんね。
そういえば、かつてうちの家にピンクの豚の貯金箱がありました。
あれはどうなったかな?
古代にはまだまだロマンがあります。
最後までお読みいただきありがとうございました😊
参照:wiki 「猪飼野」、「猪使子首」、『日本の食文化史』 石毛直道 著、
「弥生時代のブタについて」西本豊弘 国立情報学研究所