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横浜市歴史博物館

横浜市歴史博物館に行ってきました。横浜市北部は多摩丘陵に属する海抜50~60mの台地が広がり、その谷間には鶴見川水系に属する川が流れます。ここを開発した港北ニュータウンの下には、268もの遺跡群が眠っていたそうです。その代表的な大塚・歳勝土さいかちど遺跡の隣に博物館があります。

今からおよそ一万年前、横浜北部には縄文人が暮らしてました。

縄文時代の出土物

縄文時代の耳飾り(ピアス)、ネックレス、腕輪(貝輪)を装着した様子。

耳飾りは約4500年前ごろから流行り出したのだとか

その後、およそ二千年ほど前に弥生時代の遺跡が現れ始めます。

木製農具
中央の人面付き土器は、頭と首に飾り模様。右下は卜占用のシカの骨
磨製石斧
弥生式土器
集落跡から発見された炭化したコメやオオムギ

そして弥生時代後期(1900~1800年前)には静岡東部や長野の流れをくむ土器が、弥生時代週末から古墳時代初め(1800~1700年前)には近畿地方や東海西部地方の影響が見られるようになります。

ここからは、古墳時代(5~6世紀頃)の出土品になります。

下写真の左側の銅鏡は日吉矢上古墳(円墳)の副葬品。勾玉(硬玉、琥珀、ガラス)、管玉くがたま(碧玉)、棗玉(琥珀)、剣、矢じり(鉄)、竹櫛なども出土しており、被葬者は20代の女性であったと推測されています。

画面左側は、鼉龍鏡だりゅうきょう。中国の鏡を模倣した日本製の鏡。

こちらは、朝光寺原ちょうこうじばら古墳(青葉区)出土の鉄剣や武具類。ヤマト王権と関わる有力者だった可能性があるそうです。日本書記には、西暦534年に国造の地位を巡って武蔵国造むさしくにのみやっこの乱が起きたとあり、大和朝廷がこれに介入していくつか直轄地を得ますが、そこに横浜市北部や南部が含まれます。

鉄剣、矢じり
鉄製の鎧・兜(古墳時代)
鉄製馬具

大量の埴輪が出土した、上谷部町富士山かみやべちょうふじさん古墳(戸塚区)出土品。

四体の盾持人埴輪。古墳を守るガードマンの役割だそうです。


港北ニュータウン造成時に発見された横浜市北部の遺跡群は短時間で調査を余儀なくされ、さらには完全に破壊されたり、いくつかを除いて埋め戻されてしまったそうです。とても残念なことですね💦

奈良・平安時代の古代律令制度の下では、横浜市西北部に武蔵国都築郡衙つづきぐんが(郡の役所)がおかれ、この地方の有力豪族が治めたのだとか。ここから、さまざまな品が税として都に送られ、都から新しい技術や銭がもたらされたそうです。

役人の革帯(ベルト)
役所跡の出土品
鉄製農具等
須恵器や土師器

これら以外にも、鎌倉時代の港として栄えた六浦湊や江戸時代終わりに開かれた横浜港に関わる舶来品なども展示されてます。

別記事で、隣接する大塚・歳勝土さいかちど遺跡を取り上げたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました💖

横浜市歴史博物館-都筑区センター北 (city.yokohama.jp)

開館時間:9時~17時
定休日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
料金:常設展大人400円、特別展込み1000円
行き方:市営地下鉄センター北下車、徒歩5分

参照:wiki「港北ニュータウン遺跡群」「大塚・歳勝土さいかちど遺跡」、「日吉矢上古墳」「朝光寺原遺跡」「上矢部町富士山古墳」『弥生のいくさと環濠集落』横浜市歴史博物館 発行


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