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東京都埋蔵文化財センター
東京都多摩市にある東京都埋蔵文化財センターに行ってきました。
都心へ通う住宅地として開発された多摩ニュータウンでは、開発中に数々の遺跡や出土物が見つかっています。多摩地区では、旧石器時代と呼ばれる約32,000年前頃から人が住み始め、石器などが見つかっています。
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縄文時代草創期(約15,500年前)には、前田耕地遺跡(東京都あきる野市)で二千点を越える石槍と破片、および数千点の鮭の歯が見つかったそうです。場所は多摩川とその支流の秋川の合流地点にあたり、当時の多摩川は鮭が遡上していたかもしれないのだとか。
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ところで最近知ったのですが、縄文土器と言っても様々な形があるようです。東京都埋蔵文化財センターでは、時代ごとに分けたわかりやすい展示でした。
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約5,000年前の縄文時代中期前半は、温暖な気候が安定し豊かな自然環境の下大きなムラを作り安定した生活が出来るようになったそうです。土器の文様もヘビなど動物をデザインしたものも多くみられ、特殊な形の土器も作られるようになるのだとか。
こちらは、展示室の真ん中に展示されていた人体文付き土器。くにたち郷土文化館(東京都)に展示されていた顔面把手付き土器と同じく三本指です。
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丘陵のヴィーナスと呼ばれる土偶。イギリスの大英博物館にも貸し出され展示されたそうです。
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縄文時代中期後半(約4500年前)には、北陸(富山?)のヒスイや中部高地(長野)の黒曜石を関東まで運ぶ道が成立。近畿、東海、東北の土器も僅かに見つかっていることから、多摩の村を中継地点に複数の村へ運ばれたと考えられているそうです。
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縄文時代後期前半(約4000年前)になるとムラの遺跡が少なくなり、その一方で特殊な配石遺構や祭祀用と思われる道具が見つかるそうです。そして後期後半以降、多摩丘陵から人々の痕跡が消えてしまうのだとか。
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弥生時代中期後半になると、多摩地方南西部にのみ弥生文化が伝わった跡がみられ方形周溝墓を伴った集落が発見されています。そして、多摩地方でも稲作が始まったのだろうと考えられています。
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しかし、古墳時代前期(4世紀後半)になると多摩丘陵から人の活動が再び途絶えるのだそうです。
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古墳時代後期になると人々の活動跡も再び見られ、粘土や木材が豊富だった多摩丘陵は窯業が盛んとなり、奈良時代にはここで作られた瓦などが国分寺などへ供給されていくのだとか。
まだ紹介しきれてない写真がたくさんありますが、最後に珍しい展示を2点紹介して終わります。
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藩の財政緊縮のため贅沢をしないよう割られたという説も?
隣接する縄文の村にも行ったのですが、そちらは別記事にします。
最後までお読みいただきありがとうございました💖
東京都埋蔵文化財センター
入館料無料
開館時間:9時30分~17時
11月から2月は遺跡庭園「縄文の村」のみ午後4時30分まで
休館日:11/30(土)、12/8(日)、年末年始
令和7年2/3(月)、令和7年3月10日(月) から令和7年3月19日(水)
アクセス:京王相模原線「京王多摩センター駅」東口 徒歩約5分
小田急多摩線「小田急多摩センター駅」東口 徒歩約5分
多摩モノレール「多摩センター駅」 徒歩約7分