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【小説】いつか扉が閉まる時 3年生・秋・文化祭まで(9)
クラスメートはバザー会場で働いているか、文化部の発表などに忙しい。
どうしようかと並んだ本をぼんやり見ていると「紗枝さん」と声をかけられた。
「あ、久保…さっきは助けてくれてありがとう。お礼が遅れてごめんなさい」
「助けるのなんか当たり前だよ。皆怒ってたよ、俺たちのシマで何しやがるって」
シマって。
私がくすっと笑ったのを見て、久保も目をいっそう垂れさせた。
「高木に、紗枝さんにしばらく付いててやれって頼まれたんだ。図書委員会ブースにも警備係の先生を重点的に巡回させるから心配するなって」
高木先生は、そういえば久保のクラス担任だった。
そしてこれは大分後で聞いた話になるが、警備係の巡回はその通りだったが他のことについて、先生は久保に、図書委員会ブースでしばらく待機しろ、橋本と帰る時間が同じで体調が悪そうなら送っていってやれと言われただけだった。
普通に考えれば、文化祭中に1人の生徒に付いててやれなんて、先生も異性の生徒には頼まないだろう。
でもこの時は文化祭の興奮と色々なことの積み重ねで頭が回っておらず、それに気がつかなかった。
「だから、どこに行く?」
「…静かなところに行きたい」
久保について来た男子生徒が「今のはそういう意味じゃないから勘違いするなよ」と久保の肩を叩く。
「わかってるわ。そんなこと…っていうか、お前らいつまでいるんだよ、さっさと持ち場に戻れよ」
「いや、俺たちもお供するよ。1人より数人の方が、さえ…」
久保が何か言いかけた男子たちを部屋から追い出そうと押し始めた。男子たちは笑って押し返すフリをしながらも、部屋を出ていく。
何してるんだか、と思わず笑みが漏れた。
「静かなとこって、どこかなあ」と久保は窓から身を乗り出した。
私は笑ったことで気分が少し晴れたので、
「いいよ。久保だって見たいところあるでしょ?私、いざとなれば家が近いからいったん帰って…」
「駄目だよ、紗枝さん。俺たちにとって最後の文化祭だよ?」
「今日1日で3回分は満喫した気分だよ…」
「図書委員会も大変だったんだって?俺がいたらそいつをぶっ飛ばしてやったんだけどなー」
「水口さんもそんなこと言ってた」
「ああ、それなら…水口さんにお任せしようかな」
図書委員会ブースを出てから、私たちは当てもなく歩いた。
「久保は行きたいところ、ないの?」
「紗枝さんは?」
「私はもう充分見た感じ。久保は?お化け屋敷とか行った?」
「校内展示の時に行ったよ。結構手が込んでて面白かった。今日はすごく並んでたから入るのは諦めたけど」
廊下を歩くと呼び込みがすごい。
そして知らない制服の集団や、家族連れが廊下にごった返していた。
「たっつーん!寄ってってよ」と廊下の呼び込みに久保は何度か声をかけられた。
そのたびに「昨日行ったよー」と答える久保だった。
「久保、もういいよ。私バザー会場に戻るから。品物もほとんど売れて落ち着いた頃だろうし」
「えー、せっかくだから遊ぼう。別に仕事ないんでしょ?あ!食堂でドーナツ食べようよー。お昼も過ぎてるし、人減ってると思うよ」
「…本当に甘いものが好きだね」
「うん。好き…食べたいくらい」
私は笑った。
「だから食べるんでしょ?いいよ。付き合うよ」
久保はいつものへらへら笑いを引っ込めた。
「言葉って…罪作りだなあ」
久保は時々、意味不明なことを言い出す。
私たちは人混みをかきわけながら、食堂に向かった。
久保の言った通り、食堂は結構すいていて6人がけのテーブルをゆったり2人で使えた。
私たちはドーナツを買って学食のお茶をトレイに乗せて、窓際の席に座る。
しばらく話をしていると、ヒョウ柄のパーカーを着た派手な女の子が近寄ってきた。
「達矢!やっと見つけたー」
「あれ?久しぶりだねー」と久保も手を振って応える。
「来るって連絡したのに返事くれなくてー。今日もあちこち探したのに」
「そうなの?…もしかしたら、それ前の連絡先だったかも。今あんまり見てないんだよね」
「そっかー。送信できたから届いてるはずなのにって思ってた。でも連絡先が変わったんなら教えてよー」
「ごめーん、勉強と部活で忙しくってさ。何たって受験生だし」
するとその子は少し黙った。
そして綺麗な色のグロスが塗られた口が動く。
「大学にも行くんだ…変わったって聞いてたけど、ホントなんだね」
「そう?俺、変わったかな」
その子は、久保の隣に座った。
私はここにいて良いのかわからなくなり、席を立とうとした。
すると久保が足を伸ばして机の下で私の足をつついてきた。女の子は私から離れているので犯人ではない。
すねに当たって意外と痛かったので「何するの」と思わず言ったが、久保は知らん顔をしている。
女の子は、私の方をジロッと見てから言う。
「新しい彼女?」
「そんなんじゃないよ、友達」
「ふーん、ま、いいや。ねえ、この後一緒に回ろうよ」と女の子は久保の腕を取った。
久保はそれをやんわりと手で引き剥がした。
「ごめんね。こう見えても俺たち警備中なんだ。この後も巡回しなきゃいけなくって」
ドーナツを食べている時点でどう考えても警備中ではない。何でそんな嘘を。
私は「久保…」と言いかけた。するとその女子がこっちをキッとにらんだ。
「達矢は苗字で呼ばれるの、嫌いなんだけど」
私は驚いて、その子と久保の顔を見比べた。
しかし久保はへらっと笑う。
「それは大昔の話で、今は全然そんなことないよ。でも覚えててくれて、ありがと」
その子は照れたように軽く俯いた。その姿が急に幼く見えた。
「今日もわざわざ来てくれてさ。うちの文化祭、どうだった?」
「ん、うちと全然違った!何か真面目な展示とかもあって、訳わかんないのもいっぱいあったけど、お化け屋敷と縁日は面白かった」
「縁日はうちのクラスだったんだよー、射的した?」
「割り箸の鉄砲のやつ?したした。お菓子貰った」
「あれ、俺が作ったのもあったんだ」
「そうなんだー、達矢そういうの得意だったもんね」
「そうだっけ?」
「そうそう。走るのも早かったし、算数も得意で…」と女の子が言いかける。
「あー、こんなとこにいた!探したよ、マヒロ」とまたしても派手なお姉さんたちがやってきた。
「先輩!達矢を見つけたの」
「たっつん!久しぶりー。マヒロがここの文化祭に来てみたいって言うからついてきたよ。何かかっこよくなってない?」
「やっぱり?」と久保は笑って、女子たちの話を楽しそうに聞き始めた。
傍から見ると座っている久保とマヒロちゃんを、立っている女子たちが取り囲む会という感じだ。
私は居づらくなり、トレイにゴミをまとめてその場を去ろうとする。
また久保の足がやってきたが、私は足を引っ込めていたのでわずかに掠っただけだった。
大体、何で足でつつくんだ?口で言えばいいのに。
そして目立たないようにそっと立ち上がる…が、やはり皆さんの前にいたので、大いに気付かれた。
派手なお姉さんの1人が「たっつん、新しい彼女?あったま良さそうだねーさすが」と言い出す。
マヒロちゃんは「ただの友達だって。大体、こんな地味な子と達矢が付き合うわけが」
久保が椅子の音をガタッとさせて立ち上がった。
マヒロちゃんはその音にびっくりしたように久保を見上げる。
「ごめんね、俺たちそろそろ戻らないといけないんだ」とまずマヒロちゃんに笑顔を向ける。
それから他の女子に「皆にも会えてよかったー。今日は来てくれてありがとう、勝手に学校代表してお礼言っとくね。一般公開は14時までだから色々回るなら急いだ方がいいよー」と胸の前で小さく手を振って、トレイを持ってさっさと歩き出す。
私も女子たちに軽く会釈をして、久保の後を追った。
(続く)