「吉野の桜と西行法師」
◆西行庵
吉野の桜は、200種、3万本と言われ、下から、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれています。
その中の、一番奥にある、「奥千本」に、桜をこよなく愛し、多くの歌を吉野の桜に捧げた西行法師の庵があります。
1140年(保延6年)頃に吉野を訪れ、約2年余り住んだと伝えられています。その間に、吉野の桜を題材にした歌をいくつも残しています。
「よし野山さくらが枝に雲散りて花おそげなる年にもあるかな」
「吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ」
「ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ」
◆「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」
この有名な和歌は、「できれば桜の花の下で、春に死にたい。釈迦が入滅した陰暦の2月15日の満月の頃に」という意味ですが、西行の願いが叶ったのか、西行は春にあたる2月16日に亡くなりました。
今回の「奥千本」は、ほぼ満開に近く、西行法師が慈しんだ桜を、じっくりと鑑賞してきました。