「知識の5段階」
インターネットやAIの普及により、「知識」の価値が低下していると言われています。
確かに、私の学生時代(もう40年以上前)は、何かを調べる時は、書店や図書館に行って、時間をかけて探すしかありませんでした。
それに比べると、スマホ一つあれば、大概のことは瞬時に情報を得られる現在は、相対的に「知識」の価値は低下していると言えるでしょう。
それでは、もう「知識」修得に意味は無いのでしょうか。
私は、「知識」という名詞を、どう意味づけするかによって変わってくるように思います。
◆「データ」(Data)
インターネット上にある無数の「データ」のこと。
これらについては、入手に際するコストは限りなくゼロに近づいています。
これらの「データ」を、ひたすら覚える必要性はなくなってきているでしょう。
「記憶力」の鍛錬にはいいかもしれませんが。
◆「情報」(Information)
「データ」の中から、「目的」、「ニーズ」、「価値観」によって「選別」されたもの。
これらは、主体にとって、思考、判断、行動のためのベースとなる「意味あるデータ」に変化します。
ただ、これらの「情報」だけでは、一般論となり、あまり価値を持ちません。
◆「知識」(Knowledge)
「情報」に対して、「能動的思考」(必要性、関心)によって「構造化」されたもの。
この段階になると、同じ語句であっても、その背景、文脈、意味づけに「個性」を持ち始めます。
既に持っている「知識」との関係性や、一段深いレベルでの意味づけができ、他人に話すことができる状態となります。
ただ、この定義での「知識」は、文字に表すことができる状態であり、より深い説得力を付随することはできません。
◆「智恵」(Intelligence)
「知識」を実際に身体を用いて体験して「体得」したもの。
この段階で、「身についた「身体知」」となり、いわゆる、「腹落ち」した状態となります。
「智恵」レベルになると、その経験をしたことの無い人には、なかなか言葉だけでは伝えにくい「暗黙知」となりますが、説得力が大きく増します。
一方、その経験をした人と話をすると、多くを語らずとも分かり合えるものとなります。
◆「叡智」(Wisdom)
様々な「智恵」を修得した上で、「意欲的努力」(没頭)を継続している中で、降りてくるもの。
「智恵」段階までは、努力や思考、行動で、到達することができますが、「叡智」段階は、「人智」を超えた状態ですので、意図的にコントロールすることができず、「飛躍」を伴います。
ただ、その「飛躍」の確率を上げる方法論はあると感じています。
情報が溢れる時代だからこそ、「智恵」レベルの知識を体得していきたいと思います。
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