過去のチャンネル登録を見返した日。
本日は溜めに溜めた出品作業をしてました。
適当にYouTubeを開いて、BGMをポチったら、大石昌良さんの生配信のアーカイブでした。
彼は本当にギター上手いし、とてつもない努力家なんだなって思いました。
毎日ギャロップ奏法は練習しないと、下手になるらしい。
プロのアーティストは常に宿題を積み重ねているようです。
そんなこんなで、出品が終わり、大石昌良さん繋がりでニコニコ動画系のを懐かしみつつ巡回していると、身に覚えの無いチャンネル名を登録してある事に気づいたんですね。
チャンネルを開くと、7〜8年前の地元の先輩バンドのPVや、同い年がレゲエDJやってた時のライブ映像、必死に見てたドラマーの叩いてみた動画、訳の分からないネタ系Youtuber、所属していたjazzサークルのライブetc...
まあ大体は数年前で更新が止まってるものばかり。
まさにタイムカプセルを開けた感覚。
やはり、過去の記憶ですので、小っ恥ずかしいあれこれが沢山ありました。
そして、それを見返していくと、当時の僕は大きな勘違いをしていた。
あるバンドのPVが出た当初、皆で批評をしていた。というか、否定する事で自分の尊厳を保とうとしていた。
何かと粗を探しては、「自分達はこれに気づけてるから出来てるんじゃね?」みたいな勘違いをしていた。
その音源を今聴くと、割とすんなりと聴けたんだ。
それは、自分がそこまでやりたい事を熱心にやれていないから。自分のやりたい事やるマインドを優に越えられている作品だからだ。
この歳になって改めて思ったのは、自分がやりたい事を真っ直ぐにやっている人には、ヘイターは敵いもしないという事。
否定なんて、鍋の表面に浮いている灰汁を見て汚いと言うような、そんな感じ。
良い出汁を取るなら絶対出てくるし、煮詰めて行って、最後に灰汁を取れば良いんだ。
無闇にやってもないのに否定する人は、自分が出来ない事実を掻き消そうとしてるだけだったんだ。
必死にやってる人達に向ける目として、上手い下手、大人子ども、かっこいいダサい、とかは土台が違うのかもしれない。
マインドの持ち方で大きく変わるものでもあるが…
これは複雑化され過ぎてるんだ。
自分のやりたい事を真っ直ぐやっている人達は輝いていた。