【詩と散文】って何がどう違うの?
気の済むまま勢いのままに。
当記事へようこそ。
執筆を担当する中村陽炎です。
今回、note検索で詩の記事と散文の記事を眺めて思いました。
どっちも一緒じゃね?
本当にそうなのかを確かめるためにGoogleで調べてみました。
つまみ読みの使い手ゆえ、私なりの解釈で的を絞っています。
お時間の許す限り、どうぞご堪能ください。
結論
句読点および記号を使っていないのが詩。
逆に句読点および記号があれば散文である。
ちなみに記号は「 」や( )などを指す。
以上です。お疲れ様でした!!
おい待て!! それだけで終わりかよ!!
というツッコミが殺到しそうですね。
実際のところ、厳密に分けようとしたら頭が混乱するんですよ。
結論もこれだけ知ってればいいやという投げやり上等ですからね。
しかしこれだけでは見てくれた人に申し訳ないのも事実。
もう少し深堀りをして、かいつまんでみましょう。
定型詩はわかりやすい
俳句・短歌・川柳のことです。
文字数が決めて作られた文と思えばいいでしょう。
自由詩と散文詩、あと散文もあり大混乱!!
全くの初心者が見たら「何じゃこりゃ!?」となりますよ。
私みたいな凡人の素人にはチンプンカンプンです。
これは実例を出したほうがわかるかも、と思ってやってみました。
なお、実例のサンプルは私が書いた詩となります。
自由詩の一例
句読点や記号は使っていない。
短めの一文でも改行をしている
空白は自由な詩としてOKとしている
勝手な独り言みたいなもので、読み手に伝える文面ではない。
散文詩の一例
感動しない。壊れた幸せの心、あの頃のまま戻らない。
ああ、知らなかった。心も歳をとっていくんだね。体だけじゃない。心にも年齢があるんだね。
気が付かなくてすまない。これから取り戻してみせるよ。幸せという心を。生涯賭けての夢だから。
句読点を使っている。
短い一文だけで改行をしない。
勝手な独り言みたいなもので、読み手に伝える文面ではない。
散文の一例
私は感動しないんだよ。
壊れた幸せの心はあの頃のまま戻っていない。
(ああ、知らなかったよ)
心も歳をとっていく。
体だけじゃなく、心にも年齢があるのだ。
気が付かなくてすまないと私は反省をする。
そしてこれから取り戻したいと願う。
幸せという心のために。
それが生涯賭けての私の夢となったからだ。
句読点や記号を使っている。
読み手に伝わるように一人称をつけたりして説明描写に変えた。
小説やエッセイと同じと思ってくれたらいい。
散文詩は個人的に苦手
改行せずに続けていくのが見栄え悪く見えてしまう。
読みにくい文面じゃないかと思ってしまうのだ。
どうにも私の書き方とは相性が悪いらしい。
自由詩か散文のどちらかで書いたほうが書きやすかった。
これはあくまで私が主観的にそう感じただけである。
決して散文詩を否定する気はありません。
わからない時は実際にやってみればいい
まさに論より証拠である。
百聞は一見に如かずということわざもある。
こうして私はそれとなく違いを感じ取ることはできた。
ただ、これを上手に説明できるだけの頭脳が私には備わっていない。
まとめ
何となくでも違いを感じて頂けたら光栄である。
私の場合、詩は自由詩・散文はエッセイで分類します。
サイトマップでちゃんと棲み分けはしているので。
以上となります。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
すべては気の済むまま勢いのままに。