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【短編小説】リモートドッペルゲンガー

 PC画面の中、マネージャーの金田さんが今月を振り返る。売上、目標達成率、課題と改善案。
「今が頑張り時です!」
 金田さんの声は、イヤホンを通してもはきはきとよく通る。体温が上がっているらしく、額が汗で光っているのがモニター越しでもわかる。
 その金田さんの話に水を差すように、コツ、コツ、コツ、コツと堅い音がする。画面が二つに分かれた。左に金田さん、右には部長である浅井さんが映った。露骨な、苦々しい顔。音に反応して、「発言中」を表す緑のランプが左から右へと移った。
 コツコツいう音は、浅井さんが爪でPCを叩いているのだろう。不機嫌なときの癖だ。その音をシステムが拾ってしまい、何かしら発言するわけでもない浅井さんを、画面に映し続けている。浅井さんは気づいていないのか、それともわざとやっているのか、音を鳴らすのをやめない。金田さんはさすがにやりにくそうだが、遠慮しているのか、それとも面倒なのか、指摘すらつもりはないらしい。浅井さんに画面を半分ジャックされたまま、金田さんは淡々と報告を続ける。
「あの」
 むさくるしいツーショットを見かねて、俺は口を挟んだ。画面が四分割になり、左下に自分が映る。緑のランプが俺を指している。
「浅井さん、音、入ってます」
 浅井さんは一瞬手元を見て、ああ、と怠そうに返事をした。コツコツいう音が止み、浅井さんがフェードアウトする。画面が再び二分割になった。左が金田さん、右が俺。俺もすぐに消える。画面は再び一つになり、金田さんだけが残った。

「すみません、遅れました!」
 画面が二つに割れ、右側に丸っこいショートヘアーの女性が現れる。最年少の野田さんだ。後半は、彼女が報告する段取りになっていた。
 金田さんは話をすばやくまとめると
「じゃあ次は野田さん、よろしくお願いします」
 そう言って画面から消えた。画面には野田さんだけが残った。
 野田さんは下を向いて、手元で何やら操作をしている。準備に手間取っているらしい。ようやく顔を上げる。
「すみません! お待たせしました! では――」
 野田さんが話し始めた、そのとき
 ビイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!
 脳みそが揺れ心臓が縮むほど、大音量のノイズが響いた。壊れた警報器のような、不穏で濁った音だ。目の前がチカチカして、俺は反射的にイヤホンを外す。画面が二つに分かれた。
 ――誰だよ?
 俺はマイクが拾わないよう注意しながら、チッと舌を鳴らす。しかし、次の瞬間、俺は目を疑った。画面の左側は野田さん。そして右側も、たぶん野田さんだ。映像が激しくブレているが、よく見ると顔も、ショートヘアーも、ピンクのブラウスも、背景の部屋まで同じだ。左右どちらにも「Noda」の名前が表示されている。
 イヤホンを外しているので声は聞こえないが、左に映った野田さんは、一生懸命何かを喋っている。身振り、口の動き、目の動きから、慌てているのがわかる。緑のランプも左を指している。
 一方、右側は完全にフリーズしてしまっている。静止した野田さんの顔は、ブレのせいで指で擦ったみたいに上下に引っ張られていた。顔が二つ重なって見える。顔があって、目があって、頭があって――その頭の上から、また二つの目が覗いている。四つの目は上を向いていた。画面の外、こちらからは見えないところの何かを見ているように。
 バグだ。システムがバグを起こして、二つの画面に野田さんを映し、しかもその片方が止まってしまったのだ。ただ――。俺は右の、四ツ目の野田さんに目をやる。野田さんが会議に参加してから今まで、こんな瞬間があっただろうか? 野田さんはずっと、モニターか手元を見ていたのではなかったか。
 画面が四つに分かれた。左下に浅井さんが現れる。緑のランプが浅井さんを指した。何か喋っている。俺はイヤホンを挿し直した。
「これってさあ、あれじゃないの? ドッペルゲンガー」
 浅井さんは茶化すように言う。俺はその幼稚さにあきれた。マイクを通して言うことか。案の定、誰も返事をしない。しかし本人は、さっきとは打って変わってご機嫌のようだ。
「ドッペルゲンガーってさあ、遭遇したらマズいんじゃなかったっけ?」
 野田さんは困ったように笑みを浮かべている。緑のランプは浅井さんから動かない。
 ブ、ブ、ブ、ブブブブブブブブブブブブブブブブブ……
 虫がたかるような、嫌な音が聞こえた。耳の奥が痒くなる。そのとき、緑のランプが右上、四ツ目の野田さんを指した。口元が微かに動いた気がする。見間違いだろうか。もう一度、よく見ようとすると
「バグみたいですね」
 よく通る声とともに、右下に金田さんが映った。嫌な音は止み、緑のランプも金田さんに移っている。
「少し待ってみましょう」
 金田さんが言う。浅井さんは無言で画面から消える。金田さんも消える。二分割の画面には、二人の「Noda」さんだけが残った。しばらくの間、誰も発言しなかった。

 そのうちにふっと、四ツ目の野田さんが消えた。画面が一つになる。
「あ、直ったみたいです!」
 野田さんがほっとしたように言う。
「すみませんでした。続けます」
 野田さんが再び話し始めた。そのとき
 ビイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!
 また、さっきのノイズがした。俺は苛々しながらイヤホンを外す。画面が二つに割れた。右側にまた、四ツ目の野田さんが現れる。しかもバグが悪化したらしい。今度は左の野田さんまで固まってしまっている。何か言いかけた途中で、半端に口を開いたまま。
 緑のランプが四ツ目の野田さんを指した。また、口元が動いた気がする。俺はおそるおそるイヤホンを耳に近づける。ノイズは聞こえて来ない。そのまま、イヤホンを耳に挿れる。
「あー、あー…すみません。ずっと電波が悪くて……聞こえますか?」
 野田さんの声がする。俺は拍子抜けした。ともかく音声は無事なようだ。
 いや、違う――。「発言中」を表す緑のランプは右側、四ツ目の野田さんを指している。
「お待たせしてすみません。では、今から始めます」
 野田さんの声が言う。さっきまでのことが、なかったことになっている。
 今話しているのは誰だ。俺はもう一度「発言中」のランプを確認する。緑のランプは右、フリーズしてブレた映像の方を指している。今話しているのは四ツ目の野田さんだ。バグだったはずの、存在しないはずの。
 俺は画面左側を見た。さっきまで野田さんとして喋っていたはずの彼女は、まるで魂が抜けたように、口をぽっかりと開け、固まってしまっている。

 その後、会議は滞りなく終了した。ノイズが邪魔をすることもなかった。ただ映像は最後まで復旧せず、モニターにはフリーズした二人の野田さんが並んで表示され続けた。右が発言者の、四ツ目の野田さん。左は――。
 浅井さん、金田さんが、次々に退出していく。
「お疲れ様でしたー」
 右側の野田さんも、ごく普通に退出した。
 画面が一つになる。左に映っていた「Noda」さんが真ん中に表示される。まるで写真のような彼女の口元が、ほんの微かに動いた。緑のランプが光る。
 ……ブッ……
 ノイズが聞こえる。俺はイヤホンを外すと、退出のボタンを押した。


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