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電子刺青の男

1990年に生まれた自分は、2020年を迎えて30歳となった、数えだと31歳。
妻にせつかれて、文章を何か書こうと振り返れば、そもそもあんな自分に妻がいてくれるだなんて思いもしなかった。
自分がどう変化していったか、それを目視するのは難しい。なぜなら人の眼は自分が見えるような位置に備わっていないのだから。

じゃあどうやって確認しているのか。

自分が成長させていただいた30年の間、同じくらいのスピードで成長していたのがインターネットコンテンツだ。
ほぼ同期だと思う。

小学校の頃、クラスの女子が奮って集めていた謎のプロフィールカードが、高学年に近づくにつれて前略プロフに変わっていた。
中学にあがって携帯電話をカパカパ言わせながら、iモードにて月額登録したテトリスとズーキーパーと、延々続いていくRe:Re:Re:Re:無題、通信料の壁。
高校になって楽天ブログかYahoo!ブログで小説と詩を書きながら、2ちゃんねるとテキストサイトを読みあさってた。
大学に入る頃にmixiで日記を書き始めて、TwitterとInstagramもやり始めて。
それで今、noteで文章を書いている。

だいたいやっている。
おそらくみんながやっていると思う。
黒歴史の種となる物を。

そう。
ネットの発展と共に育ったせいで、新しい物にすぐ手を出して、余す所なくそのほとんどがまだ確認できる。
楽天ブログ以降の自分がネットにこすりつけたモノは、電子の海で埃も被らずに検索結果から飛び出せる準備が整っているのだ。

自分はそれを、たまに、見る。

カサブタを剥がすのが気持ちいいのと似ている。
ネットに残した自分の文章たちは、最高の状態でカサブタを保存してくれる。
剥がすのにゾクゾクして、傷口が赤すぎてひく。
思い立って自分のブログ(ブログタイトルとか、ブログの説明文とか、カテゴリ分けの名前とか、日記タイトルとか!)を読み返しては、拙さと若さと痛々しさに殺される。
小説の投稿サイトでいっちょ前にコメント欄で解説したり、パスワード電子探偵団のファンサイトになぜかチキチキマシン猛レースからとったハンドルネームで参加してたり、告白してフラれた女の子への思いの丈を日記で書いてそれをメールでブログアドレス送って読ませたり(その感想をもらいに行ったり!!それをあらためてブログに書いたり!!!)えぐい、全部思い出せる、読めもする。
全部鳥肌製造機。

一昨日友達から聞いた、mixiがまもなく閉鎖されるらしい。(追記:いまちゃんと調べたら誤報だった。デジタルタトゥーに乗っ取って追記とします)

そのタイミングで読み直した。
自分の日記も、コミュニティに投稿したコメントも。
えぐい、大学生になってからえぐみに加えて臭みも強くなってる。
やりたいことばかり書いてあって何一つ進捗報告も書かず、それらしい文章とポエジーきどって頭キマってる。

みなさんもあるんですよね?
不安。


それらは自分で消そうと思わない限り、えぐみと臭みが新鮮な状態で発酵していくのが、このデジタル社会だ。
膨大な外部保存の記憶装置として、自分のすぐ近くに存在している。
こういう形で自分のデジタルタトゥーが存在していると思うと本当に恐ろしい。
えぐみ巡回をしていて、いままで閲覧できていたページがサーバーのサービス停止とかで潰れていたり、今回のmixi閉鎖(ここで改めてmixi閉鎖のソース調べました。誤報でした。えぐみ、まだまだのこる、消えてくれ)

消そうと思えば消せる。
毎回パスワード忘れてログインし直してるんだから、もうワンステップで消せる。
でもそのカサブタたちは、外部保存した自身の記憶であるからこそ、消すのに躊躇いがある。
カサブタが綺麗な形で残り続けてくれるから、そこに魅力を感じてしまう。
過去のマイナスは、あの時の時点では確かにプラスだった、それを否定するのがなんか嫌だなと思う。

不幸自慢とは違うけれども、自分には関係性を【初対面】→【知人】→【ちょっとした友人】→【わりと友人】くらいまで育ててからやっと話せる半生がある。
自分はどこをとっても不幸だと思っていないけれど、自分が思ってないのだから他人もそうでしょ?、なんてもちろん思わない。
客観視したときに、いわゆる不幸だと、思う。私の方が、あの人の方がなどではなく(どうしても回りくどく書こうとしてしまう)。

人の眼は、自分自身が見えるような位置に備わっていない。
だから自分はとてもポジティブに、今を捉えてる。
だって今めちゃくちゃ楽しいから、シンプルに。
毎日シンプルに楽しい。
そしてそれは、やっぱり今までの全部があったからこうなってる。
えぐみを出しまくってたあの頃が、自分の半生が、今の自分の立ち位置に押してくれた。
全ての過去が今の自分にほられた刺青だった。

だから自分は、電子の刺青も入れたまま、これからも生きていこう。
このnote刺青は右肩に入れておく。


それから。

記事の画像をどうしようかと写真フォルダを漁っていたらこの画像があった。

写真フォルダには「3日でプランクチャレンジ諦めた刺青」が彫られていた。
やれよ、デブ。

やれよ。

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