あの日の大分トリニータ“2005.9.10”

ロスタイムでの同点そして延長戦の末、逃した1999年
浦和を苦しめながらもまたも最終戦で逃した2000年
石崎体制に別れを告げ、若手が台頭を見せた2001年
そして、堅守速攻に磨きをかけ掴んだ2002年
4年目にして掴んだJ1は苦しみの連続だった。
2年続けて得失点差でのJ1残留、薄氷を踏む思いだった。
迎えた3年目のJ1、監督にレジェンドともいえるファンボ・カンを据えた。
韓国からFWドドを迎え、マグノ・アウべス、高松大樹、吉田孝行の攻撃陣に厚みを持たせた。
初の大分育ちのアカデミー出身者GK西川周作、MF梅崎司も昇格した。だった。この年、前年までのユニフォームスポンサーが撤退した。胸スポンサーが空白のままの開幕。
企業を母体としない大分にとって広告収入は経営を大きく左右する。
好成績を収め、シーズン途中でもスポンサーを得なければ文字通り勝負の年だった。
序盤は苦戦するも盛り返す兆しは見せた。
しかし、勝てない…最後の一押しが…監督の顔から自信が消えた。
選手たちは暗闇の真っただ中に取り残された。

ついにクラブは重い決断を下した。そして、ブラジルから若き智将ペリクレス・シャムスカを迎えた。ジャイアントキリングでタイトルを獲得しブラジル国内でも注目され始めていた。クラブの元スタッフと選手が引き寄せた縁だった。
就任正式発表の6日後には第23節を控えていた。
相手は圧倒的戦力で初制覇を目指す浦和レッズ。
しかも絶対アウェイの埼玉スタジアム2002。
発表後、台風による練習中止を挟んで迎えた初練習はこうして始まった。
『苦しい状況かもしれない、でも嵐がすべて持っていった。これ以上悪くならない。私を信じてほしい、私も君たちを信じる。勇気を持って最後まで自信を持って戦い、勝者の気持ちを持っていよう。リスクを恐れずに積極的に君たちは勝てる。』
圧倒的戦力に熱烈的なサポーターがそびえるアウェイで勝つ。
準備期間はわずか3日間、選手たちはまだ半信半疑だった。

迎えた9月10日秋晴れの埼玉スタジアム2002のスタンドにはまさしく赤い壁がそびえ立った。
それを目にしたロッカールームではシャムスカは多くを語らなかった。
『サッカーを楽しもう、幼いころからサッカーを楽しみ愛し、今プロとしてプレーできる喜びを感じよう。この幸運を胸に試合に臨もう』

“サッカーを楽しむ”
結果が出ない日々で忘れていた。
初めてボールを蹴った日から
いろんな辛いことも理不尽なこともたくさんあったけど、
ここまで続けてきた。
『初めて出会ったその時からサッカーがホントに楽しいから』

ピッチには迷いから解き放たれた11つの青い星がキラめいた。
”自分ができることをする、仲間を信じる”
サッカーを始めた時のようにシンプルに走り、仲間を信じパスを出した。ピンチには体を投げ出して守った。
無我夢中の90分
第11節以来12節ぶりに掴んだ勝利
決勝点を決めたマグノ・アウべスは試合後のインタビューをこう結んだ。
『浦和という強いチームに勝てた。まだ大分は死んでいない。これからと言いたい。』
そう、まだ死んでいなかった、ここから全てが始まった。
【画像はいずれもJリーグオフィシャルトレーディングカード】


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