外部に発信する強さ。勇気。
おはようございます。
単刀直入に外部、つまり他者になにかを発信するには勇気が必要だと思います!
…そう感じるくらい普段人と接さない私です。(笑)
そんな私から見て他者と接するということは自分にない何かと触れ合うということ。当然。ヒトの人生とは一様ではなく割と何でもかんでも違うから。
…生まれた環境、周りから何を教えられたか、何を希望と感じ何を絶望に感じたか。違って当然。
でも同じところもある。例えばあの子も私もピーマンが嫌いとか、逆に食べれるとか。味に関する感想は違えど共有できるものはある。きっとそう。
社交性もなく、組織や集団-社会と断絶し積極交流を取らず一度ヒトと接点を絶ったわたし。
→これが外部と交流を持とうとする。
→??????????
なんたる勇気か。
故に私は評価する。発信することの強さを。日本は村社会。村の意思に反するものの肩身は狭い。
でもimagineに代表されるようにもし国境や派閥、争いの種になるような「違い」がなかったら、互いの多様性を認め合えたら、
みんながそう思えたら、
もっと自由に
きっと平和に生きれるはず。
なんでこんな発信したんだろう。
それは多分タイトルの通りこの勇気を肯定したかったのだろう。
あとは文中の通り、きっと違いはある。違いは明確にあるとわかっているけど、きっと私たちは、みんなはわかっていけるということ。
分からないから"はじく"んじゃなく分からないところもあるけど共にこの時代に共存できる。
分からないかもしれないけど、ピーマンを一緒に食べれるかもしれない。
相手をわかろうと想う気持ち。相手を思いやる気持ち。
その気持ちが愛から始まったのなら、もしくは愛がそこにあるなら
きっとその気持ちはとっても尊い
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