でも訴え続けろ!(笑)
note始めて2日。色んな記事を目にしました。中にはリアクションを取ったものもある。
でも!何故か!どうしてか!私自身についての周りの興味関心は一向に増えない。思うように増えない。
読者がいるのか怪しい!共感が生まれたか怪しい!
結局自分から発信しても、また絡みに行っても自分の発信したものに対する興味関心、意義は増えないのかと、正直モヤモヤします。(笑)
そう。お気づきの方は鋭い。
私はあまり我慢強いほうではないのです!!!!(ドドン!)
やー。モヤモヤしまーす。 (笑)
ただ意義ということで言えば多分発信することに意義はあります。悩む事にも意義はあるだろう。それは体験であると、思うからです。
ここでタイトルに戻る。
でも訴え続けろ!(笑)
これは自戒でありまた発信したい気持ちでもあります。
私がこのnoteというアプリを使い始めた日に私は運良くこういった記事を目にしました。(裕太さん引用失礼しまーす)
ここに書いてあったことをかいつまんで、かつ私なりに噛み砕いて発信します。
『声をあげるとき、必ず反対の声があがる。』
私もSNSで発信を最近始めたのですが、反対の反応が怖いとちょっと思っています。
共感されなかったら。否定されたら。
それがとても怖いです。なんでかっていうと、対話するつもりで腰を据えて話をしてくれるならまだいいですが、頭ごなしに否定されたり、拒絶されたり、明らかにそれを話してから『あ、テンション下がったな。』って経験を何度か繰り返したからです。
わかってほしくて、知ってほしくて発信するんだけどそれをその話をしたから拒絶されたって印象を受けると結構傷つくんですよね。
まあそういった経緯から私は共感以外の特に反対・拒絶の意見に過剰に反応するようになりました。
今まで腰を据えて誰かと話をするって経験を積み重ねられなかったのも原因だと思います。
頭では多様性や反対の意見、存在を理解しているつもりでもいざあい対するとしんどいんですよね。(笑)
そういった嫌だなあ〜って不安を抱えて発信やらないってなった。そんなときにこの裕太さんの記事や考え方はとても大事だと思います。
反対の声があがるのはある意味当然なんです。拒絶されたって印象はそれはすごくしんどいだろうけど、そういう反対意見が出るのもまあ当たり前なんだなーって思えたら、もうちょっと気楽に居られるのかなあーと思います。
で、ちょっと脱線したけど訴え続けろ!とは何か。
まあこれ、裕太さんの記事を見て思ったのは多様性ですね。色んな人がいるってこと。反応しない人がいるのもそれって当たり前のことだし、まあ人類75億人世界にいるなら反応しない人の方が圧倒的多数だと、そうも思うわけです。(笑)
そういう視点ですね。
こう書いていて反応してくれた人に感謝しなきゃなとちょっと思いました。
まあ、そう。この圧倒的に反応しない人が当たり前に多い世界。
じゃあー自分はどうしようか。
反応が貰えないから発信をやめようか。
こう思ったときに反応が貰えないからを理由に発信をやめることがいかにもったいないかってちょっと、思ったんですよね。
発信をしていたらのちに誰か1人でもそれで何か気付かされることがあるかも、しれない。(笑)
でも発信してなかったからそのままそのことには誰も気づかないかも。
まあちょっと長くなっちゃったww
まさかこんな長くなるとは思わなかったよ。(笑)
話も2転3転したね。
文としても未完成のパズルみたいになっちゃった。
けど、まあ良しとします。(笑)
前述の通りこの未完成のパズルで何か得られる人もいるだろうから。
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