わたしと配信。
なんでこれを書こうと思ったか
それは今の生活において、私と配信は切っても切れない関係にあるからと言える。
…と、今は思っている。
そんな私も、もう配信を始めてなんだかんだ4ヶ月目らしい
惰性で続けているところもあり、日常垂れ流しなところもあり、…他にも、話していて楽しかったあの人たちとまた話せるんじゃないかと言う期待感で続けているところもある。
そういう楽しい時間が、楽しいと思える時間がとてもかけがえのない時間なのだ。
配信。
配信とはつまるところ、生LIVEである。
「いやそんなのわかってるわ!ww w」
と、いうようなツッコミが返ってきそうだが実際そう。
これがわたしが配信を4か月続けてきて感じた実感のひとつ。
それともうひとつ。
期待感
これは切っても切り離せないと思う。
結局のところ、私は期待しているのである。配信に。配信というものに。
誰かと話せるんじゃないかという期待
楽しい時間を過ごせるんじゃないかという期待
何か作業が進むんじゃないかという期待
新しいことにチャレンジできるんじゃないかという期待
新しく誰かと出会える・知り合えるんじゃないかという期待
未知との遭遇(ポジティブ)
今日1日が有意義だったと感じられる、そんな期待
様々な期待、
実に様々な期待を、
そんな期待をもって多分わたしは配信を続けている。
配信とは生ものだ。
良くも悪くもその場の空気やノリ、さまざまな偶然、あるいは必然が積み重なって出来ている。
ひとはその場限りの一体感、ノリ、楽しさやエンタメを期待して、あるいは懐かしさから、あるいは新しさを求めてきっと配信に訪れる。
わたしは配信者であり視聴者(リスナー)である。
でも、配信者である。
逆に、きっと上記で挙げたような期待感が配信から失われたとき、配信によって得られないと判断したときにきっとわたしは配信から距離を置くだろう。
もっと別の理由もあるのかもしれないけど。
きっと皆さんの中にも居るはずだ。
そういう"期待感"が出発点でなにかを始めたり、配信を始めたって人は。
そう。
期待感。
でも、続けるのは、続くということにはもっと別の要素が出てくる。
わたしが配信を始めたとき、わたしの胸の内にあったのは
『人気者になるぞ‼︎‼︎』
という野心ではなかった。
あくまで話せる場所が欲しかった。
誰かと楽しく語らえたり時間を共有できる場所。
それがなんだか欲しかった。
わたしが配信を続けてるのは、わたしが配信をしたときに楽しい人たち、話していて楽しいと思える人たち、時間と出会えたから。
それが地続きで続いているから。
だからわたしは今も期待し続けているし、だからわたしは配信ボタンを押す。
人は、一歩一歩地続きで人生が続いている。
わたしの人生も当たり前だが地続きだ。
突然、唐突に配信が始まったり始めたのではなく、脈絡がある。
配信を始めたってのもいわばここ半年の話。
ぶっちゃけnoteのほうがだいぶ長く続いている。
つまり、noteの延長線上に配信があった。
わたしの場合は。
いや、これまでの人生の先に配信があった。
ただそれだけのこと。
わたしは今プロフェッショナル仕事の流儀の曲、『Progress』を聴きながらこの記事を書いている。
なんなら寝起きで書き始めたが書き終わらず、朝ご飯を挟んで分割で書いている。
作業再開している。
…また話が脱線するから先に言っておく。
この『Progress』という曲の歌詞にあるように、わたしたちの描いていて未来は誰かとおんなじ色じゃなかったはずだ。
…わたしも、まさか自分が人間関係や学校生活でこんなにも疲弊し、心身共に玉砕し病んで人間が信じられなくなり、社会不適合者(なんかこの言い方やだけど)になってウン年単位で引きこもるとは思わなかった。
わたしの描いていた未来は、夢はもっと明るくて、愛や優しさ、思いやりによって無限に広がっていく、そんなイメージだった。
無限に愛や優しさは世界を包んでいくけれど、でも、自分を構成する1番大事な愛はいつもここにある。
世界は広いけれど、そんな広すぎる世界でわたしと出会ってわたしを愛してくれた存在、奇跡。
それに感謝してやっぱりわたしは無限にがんばれる、自由に、ひたむきに走り続けれる、そんな未来を予想した。
が、どうだ。
システムとの不和?
いわゆる社会(システム)不適合?
自分が稼いでればわけなかった。
でも、そういう生き方を学生のときに学べなかったし、そんな先でわたしは心底疲弊しぶっ壊れた。
社会人って格好だけで、くそ雑魚弱者として社会に放り出された気分はどうだ。
幸いにして、わたしには理解と愛ある家族がいた。そんな家族でいてくれた。
だからわたしはひきこもりニート出来てた。
過去最大級に弱った心と身体を、そんな心と身体でなんとかこの世ってものにとどまることが出来た。
ほんとうにありがとう。
話は急に戻る。
配信者として。
わたしは今現在、名のある配信者でもなんでもない。
ほんとに垂れ流し。
垂れ流し配信者だ。
ぶっちゃけ今のところ名をあげたいだとか、配信で稼ぎまくりたい!なんて野心はない。
単純にそんな野心が、全くといってないと言ったら嘘になるけど、そんなないのは事実だし、何よりそんだけ応援してもらってわたしとして返せるものがない。
なぜなら垂れ流し配信者だから。
貰った恩は返したいと思ってしまう。
これがギフトだとか投げ銭だとか、スーパーチャットと呼ばれるものに対してわたしとしては返答に困ってしまう。
素直に嬉しい。
でもそれで終わらせていいのだろうか?
"ありのままでいたい"という願いが具現化したのが多分いまのわたし、いまの配信者たるわたしの在り方だ。
'まだ何も成しえていない'、って言いそうになって言葉に詰まった。
わたしは確かに歴史に名を残す偉業的なやつはなにひとつ出来ていない。
しかしわたしの人生史におけるさまざまな進歩が配信の中にあった。
それこそ色んな出会いがあって、そんな時間の積み重ねがあって、毎日があって、だから今のわたしがある。
まさに配信とは、自分ひとりで出来るものではない。
作るものではない。
人生というものがそうなのかもしれないが、他者との触れ合いの中で初めて気づくことがいくつもある。
リアクションはその都度違うが、わたしはそういう気づきや刺激に助けられている。
ほんとうにありがとう。
配信者。
これからどうしていきたいという抱負を語るつもりはない。
だが、しいて言うとすれば。
…わたしはどうやらこれまで4か月くらい配信を続けてきたらしい。
惰性とも言った。
それは当たりだ。
でも、それだけでこんな続くか?と。
わたしは面倒くさがりである。
嫌いなことや苦手なこと、面倒なことはしないし続かないタチだ。
きっと期待しているんだろうな。
誰かと話せるんじゃないかという期待
楽しい時間を過ごせるんじゃないかという期待
何か作業が進むんじゃないかという期待
新しいことにチャレンジできるんじゃないかという期待
新しく誰かと出会える・知り合えるんじゃないかという期待
未知との遭遇(ポジティブ)
今日1日が有意義だったと感じられる、そんな期待
結局のところ、私は期待しているのである。配信に。配信というものに。
そこにあるのはロマンであり、
等身大の自分である。
これが失われない限り、きっとわたしの配信は続くだろう。
まさに、ひとつの生きる希望だ。
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