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言葉と心の一方通行感。心のモヤ晴らしとラジオ。内心。(3)



まさに言葉の一方通行感。


と、いうか"心"の一方通行感。



善意も悪意のようにとられたら、その間にモヤのようなものは必ず出来る。…、と思う。



…わたしは今、かつて録ったあつもりの雑談プレイ音源を聴きながらこのメモを書いている。
あつもりとは「あつまれどうぶつの森」の略。
ほのぼのとした日常系のゲームである。

けけ○○〜、といった非常にコミカルなBGM、効果音にひたすら作業?しながら、思っていることや考えていたことを無造作に話すわたし。(雑談地味た独り言)

非常に穏やかかつ、平穏に満ちた時間を思い出す。



ああ、どうかこのモヤを流しておくれ…🙏😭 (切実())







ーー


主観の交換をしようにもあっちこっちに行ってばかり。

多少の振り回しは許容できる。てか、してた。



しかし抽象的にはぐらかされ、その都度"空気を読め"とされる場面に遭遇し続けるのは、流石にしんどい。



…まあ、つまるところ人間の出会いにも千差万別、色々なものがあるわけだが…、やはり需要と供給の不一致というものは、どうにもあるらしい。



そしてそういうときは大概、大なり小なり居心地の悪さのようなものを感じてしまう。

😅





これは人間同士が集まるところではよくあることなんだが、どうにもこういった歯痒さは、苦手だ。😶(真顔)


なんというかモヤが残るよなあ。
SNSや掲示板では履歴が残るから余計バツが悪い。




こういうところは本当に苦手である。

でもこういうのって本当によくあることだから、こういうのが苦手なわたしって、やっぱり人間と距離を置きやすい側面があるんだろうなぁ〜、って思う。




今回の愚痴はここでおわり。



…実況?、というより雑談プレイ音源のおかげでだいぶ助かったwwwww🤣



最後に、
ああいう形で'わざわざ'最後コメントを残したのだから、もう2度とわたしにはコメントしないでほしい。(笑)


わたしにとっては最後にツバを吐き捨てられたのと同じような気分だ。🤦‍♀️


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