ニューヨーク・タイムズで取り上げられた山口市は、なぜ西の京と言われるのか?
今年1月10日に衝撃のニュースが届いた。
ニューヨーク・タイムズが発表した「2024年行くべき52カ所」の3番目に山口市が紹介されたのです。山口市はまさに18歳まで過ごした私の故郷です。
山口県といえば、県内に角島や錦帯橋、関門海峡や萩の城下町など人気の観光スポットはあるものの、山口市が注目されることはあまりありませんでした。
私は今までも一貫して、山口のイチオシとして「瑠璃光寺五重塔」「山口外郎」「かまぼこ」をあげていましたが、記事内の紹介スポットとして「瑠璃光寺五重塔」もあげられていました。
日本三名塔のひとつですが、残りの2つは奈良の法隆寺、京都の醍醐寺であり、存在感は薄い。
私は、五重塔の前の池と、山々の借景は、ほかの2つの五重塔に負けずに美しいと思っています。
そんな瑠璃光寺五重塔ですが、70年ぶりに檜皮葺屋根の改修工事を行っており、囲いに覆われ、2026年3月まで美しい塔を見ることができません💦
なぜこのタイミングなのか?と思いつつも、瑠璃光寺五重塔だけなく、京都の街並みやカルチャーを模したミニチュア京都を観光公害(人が溢れている)なく、ゆったりと楽しめることを推薦者のクレイグ・モグさんは書いてくれています。
室町時代に京都を模した街並みを作り上げた大内氏は、当時の将軍であった足利義満が圧力をかけていたほど恐れられていたそうです。
1399年の応永の乱では幕府軍に対し反乱を起こし、奮戦しました。
最終的には敗戦し、25代大内義弘は戦死します。五重塔は、戦死した義弘を弔うために、弟の26代大内盛見が建立を計画し、完成した塔になります。
大内氏が築き上げた京都のカルチャーは、瑠璃光寺五重塔だけでなく、様々なところに散りばめてます。
たとえば、京都のように八坂神社があり、毎年夏には、祇園祭が開催されています。
鴨川を模した一の坂川は、春の時期には桜が美しく咲き、6月には蛍が舞っています。
また、室町時代に歴史上の人物と大内氏の関係も興味深いです。
水墨画で有名な雪舟は、中国で水墨画を学んだ後、応仁の乱後の京都を避けて、大内氏のサポートで山口に滞在し、多くの作品を山口で生み出し、山口で亡くなりました。有名な四季山水図も山口で描いたと言われています。
また、常栄寺の庭園は大内氏の指示のもと、雪舟が築庭したと言われています。
キリスト教信仰を日本に広めたサビエルに対しては、日本で初めて布教許可を与えたのも大内氏と言われています。
山口での布教を記念して、サビエル記念聖堂が亀山町に存在しています。
少し地味ではありますが、京都のエッセンスを歩きながら探し、感じるのも楽しいと思います。
クレイグさんも言っていましたが、京都の街並みを超えることはありません!
山口市を訪れた際には、大内氏がこだわってここまで京都のような街並みを作ったんだなと空想しながら楽しんでもらえればと思います。
次の記事では、紹介された辺りを実際に歩いて回ったことを書きたいと思っています。