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加賀屋と東京三大煮込み

都内在住の酒場好きなら、だれでも「東京三大煮込み」という言葉をお聞きになったことがあるだろう。なんでも酒場ライター界の巨匠、太田和彦氏が提唱したものらしいが、

月島「岸田屋」 北千住「大はし」 森下「山利喜」

上記各店の煮込みが東京を代表とする煮込み三選とされている。「東京三大煮込み」というフレーズは実際かなり人口に膾炙していて、3店舗とも一種の「聖地」と化しており、半ば観光的な意味合いでこれらの店を訪れる酒場ファンも多い。

私は3店とも訪れたことがあるが、いずれの店の煮込みも食べてナルホドの旨さで、これらが見事な逸品であること、そして3店ともその佇まいも含めて傑出した名店であることに疑いをはさむ余地はないと考えている(特に大はしの接客は筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい。聞くところによれば、海外の超一流ホテルの経営者たちが、その神がかった接客技術を学ぶため、こぞって大はしを視察に訪れるのだという)。

だが、この3店の煮込みをもって「東京を代表する煮込み」とすることには大きな違和感が残ることも事実である。例えば、「東京都の鳥」がユリカモメであり、「東京都の花」がソメイヨシノであるのと同じように、この3店のそれを「東京都の煮込み」として認定してよいのか、ということになれば、これは日ごろ争いを好まぬ温厚な性格の私も、強く反対せざるを得ない。状況如何では、たまたま視界に入った見ず知らずの人々に見境なく殴りかかることも辞さない・・・と言えば、私の覚悟が伝わるだろうか。

なぜなら3店の出す煮込みは、それぞれ違った形でスタンダードな煮込みのイメージから外れているからだ。一番外れているのが大はしの煮込み。ここの煮込みにはモツが使われていない。純粋な牛肉の煮込みなのである。ここの煮込みは本来なら「牛肉のさっぱり醤油煮」とでも名付けるべきものであって、東京の人間が「煮込み」と聞いて思い浮かべる料理とは大幅にかけ離れている。

山利喜の煮込みは、バゲットと一緒に食べる習わしからもわかるように、明らかに洋風の味付け。「煮込み」というよりも、イタリアンのトリッパ料理に立ち位置は近い。

岸田屋は、一見この三店の中で最もオーソドックスな雰囲気だが、冷めると表面に膜が浮いてくるほど濃厚な味付けは完全に「煮込み」離れしているように感じるし、腸(シロ)だけでなく、様々な部位のモツが用いられているのも、「東京の煮込み」としてどちらかと言えばマイノリティである。

では、真に「東京都の煮込み」として選定されるべき煮込みとは、どの店の煮込みなのだろうか。東京の酒場好きが「煮込み」と聞いてすぐに思い浮かべるイメージに適合し、かつ誰もがその旨さを認める、そんな「東京都の煮込み」に出会える珠玉の酒場とは・・・

そう、加賀屋である。

味付けはシンプルな味噌ベース。器はいかにも昭和風の白いミニ土鍋。しっかりとコクがありつつ、かと言って濃厚すぎない煮汁に、丁寧に下処理されたシロと豆腐が美しく佇んでいる・・・こんな加賀屋スタイルの煮込みは、シンプルではあるけども、「東京の居酒屋好きが思い浮かべる美味しい煮込み」のイメージをこれ以上ないほど見事に体現している。

「たしかに加賀屋の煮込みは旨いけど、東京代表を名乗るには少しオーソドックスすぎてインパクトに欠けるのでは?」という意見もあるだろうが、むしろこうしたスタイルの煮込みがオーソドックスと感じられるのは、加賀屋が創業から50年以上も東京酒場シーンの第一線を走り続け、星の数ほど存在する東京の居酒屋に多大な影響を与えてきたからだ。つまり、「加賀屋の煮込みはオーソドックス」ではなく、「我々がオーソドックスだと感じる煮込みのイメージは、加賀屋の煮込みをベースに形成されている」と考えるのが正しいのである。

我々は(加賀屋を訪れたことがない人すら)知らず知らずのうちに、加賀屋を北極星のような「不動の参照点」として、世の煮込みに関する判断を行っている。例えば、私が大はしの煮込みを「珍しい」スタイルだと感じるとき、その感覚の背後には「加賀屋の煮込みのスタイルと異なっている⇒変わった煮込みだ」という無意識的な判断が働いているのだ。

実は、私が垂れ流している加賀屋に関する駄文だが、現在コロナ対応で多忙を極めている小池都知事が激務の合間に愛読してくれているという話を聞いた。率直に言って小池都政にそれほど良い印象を持っていなかった私だが、小池氏が隠れ加賀屋ファンと知って素直に嬉しく思った。

そこで本稿もお読みいただいているはずの小池都知事に提言させていただきます。この際、加賀屋の煮込みを正式に「東京都の煮込み」に指定してもらえませんか。もちろん既に定着している「東京三大煮込み」の呼称を廃止する必要などありません。ただ加賀屋の煮込みを、東京の豊饒な食文化の象徴として、公式に位置付けていただきたいのです。そして、可能ならば、加賀屋各店舗の店主ひとりひとりに名誉都民の称号を贈呈していただきたい・・・一都民としての願いです。

・・・少し話が大きくなりすぎたかもしれない。加賀屋について真剣に考えると、最後は政治の話に行きつかざるを得ない、という気もしている。

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