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時間と意識

時間と意識
と、タイトルをつけて書き始めてみる。でもこれは書きながらできていく文章なので、どんなところに行き着くかわからないなぁ、と思いながら。でもそれでもいいから、手に脳みそを直接接続して、書いてみる。
この間聞いた話が頭をよぎった。
「パトリアルキーの世界は、とにかく世界を予測可能にしようとする。そのために恥や罪悪感、アメとムチなど多種多様な手段を使い、結果をコントロールしようとする。」
パトリアルキーという概念についてはまだまだ勉強中なんだけど、僕らは意識的にも、無意識的にも、かなりこの社会からこの概念を受け取り続けていて、自分の中にも色濃く残っている無意識な前提がたくさんある気がしている。
それに対して僕が生きたいと願っている世界は、有機的な、いのちに導かれる世界。それは予測できないもの。
予測できない、というのは怖さがうまれる。特に「どんなものでも受け入れられる」という安心感がなかったり、「こういう結果を出さなければならない」という前提に立っている時は、そりゃ怖いよね。
「経済成長」という結果を出すことが全ての世界観では、いのちのイキイキさが閉じていくのは当然なのかもしれない。
ということでいきなりタイトルとは脱線しまくっている予測不可能なこの文章は、生きている文章なのかもなぁ
「誰かの役に立つ」とか「読みやすく万人に伝わる文章」とか「〇〇いいね以上もらえて、フォロワーが増えるような文章を」みたいな結果を出そうと全く思っていないから、目の前には何を創ってもいい大草原が広がっている感じ。
その草原に、頭に思い浮かんだことをダダダダァって出しながら、なんとなくまとまりのある「文章」という形に成形している、そんなイメージ。
このプロセスが超楽しい。
あ、決して結果を出すために頑張ることを否定しているわけではないのです。それによって満たされれていることも五万とあることを理解しているつもりです。その上で、その手段によって満たせてなかった部分を満たしたい。ということで新しい手段を模索している人生なのです。
あれ、俺これ誰に弁解してるんやろう。笑
きっと自分の中にいるんだな、そういう声が。
「正論風に言いやがって、これまで俺たちが歩んできた道は間違いだっていうのかよ!」みたいな声がいる気がしてきた。
その声に対して「間違っているとかではなくて、あなたたちはその環境におけるベストを尽くしてくれたんだと思っていてとっても感謝しているんです。その上で、一緒にどうやったらどんな声も置いていかない、新しい世界を創れるのかを考えませんか」ってことを伝えたい。
そしてその存在とも共に歩んでいきたいんだよなぁ
という自分の中の対話。
ようやく時間の話に意識を戻してみる。
今朝、自然に目が覚めたんです。まだ涼しい。早い時間の気がする。
次に、僕の意識はスマホを探し始めるんです。ほぼ無意識に。それで今何時なのかを確認しようとする。
それで、「5:30」とか表示されようもんなら「やったーまだ寝れるなぁ。身体も疲れてるし、昨日寝るの遅かったし、夕飯食べるのも遅かったから、もうちょっと寝るか」みたいな感じで二度寝に入っちゃう。
僕はこれを繰り返してきてた気がするんです。
でも、今日はスマホが見当たらなかった。偶然にも。
僕の部屋にはスマホ以外に時間を確認する手段がないので、時計を確認することを諦めた時、初めて自分の身体に聴けた気がしたんです。
「今の時間がどうとかではなく、この山から漏れる光、鳥たちの声、川の流れる音を聞いたとき、あなたは今起きて今日という一日をはじめたい?」
答えは明確にYESだった。その結果、超気持ちいい朝の時間を過ごせている。
えっと、何が言いたいかというと、自分がいかに時間という概念に縛られているのかに気づいたということ。
授業が始まる時間、電車が出発する時間、働く時間、好きな番組が始まる時間、、、
でもこの世界は有機的に動いているし、冬の5:30と朝の5:30は全く違う世界。
そして時間の濃密さは意識によって変化している気もしてる。
時間と意識と、地球のリズムと。全てつながり合っているのだとしたら、そこにどんな関係性があるんだろう〜
面白くなってきたけど集中力が切れてきたのでこの辺で終わろー。ではまた!


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