いつまでも顕彰馬選出に文句をつけ続ける競馬民たち

そんな重要なことか?
ちょっと権威主義的すぎるだろ。

素晴らしいと表彰されたもののことを素晴らしいものだと認めるべきだと思ってるから、
自分が素晴らしいと思ってるものが表彰されないことにイチイチキレているってことなんだよ。

あのさあ、顕彰馬に選ばれようが選ばれなかろうが、出した結果というものは何一つ変わらないの。
変わると思っているほうがおかしい。
これはJRA賞も同じで、投票に毎年毎年文句つけてるのも本当にくだらない。

自分の価値基準が絶対的に正しくて、社会はそれを正当に評価しなければならない!と考えているわけ。
が、当然ながらそんなわけはないのでいつまで経っても文句を言い続けることになる。

100人の人間がいれば100通りのものの考え方があるということが理解できないのかな?

どのような価値基準で物事を評価しても、それは当人の自由だ。
反社会的なものなどは否定されることもあるだろうが、表彰の投票なんてものはそれぞれ独自の考え方のもとで行っても何も問題ないことだ。
いや、こうでなければならない!と思うのであれば、それは他人の考え方を統制しようとする傲慢でしかない。

これは野球のベストナインとかゴールデングラブのような記者投票の時も同じで、どういう尺度で選手を評価するかは完全に自由である。

ましてや、「満票でなければおかしい!」とか、「該当者なしはおかしい!」とか、「その主張のほうがよっぽどおかしい」としか言いようがないような意見で溢れている。

顕彰馬は厳格で格の高いものであるべきだから易々と与えるべきでないと考える人がいたとして、それを否定できる合理的な根拠はない。

100人の人間がいれば100通りのものの考え方がある
自分の意見はその中の100分の1

この言葉を100回読んでからものを考えるようにしろ!

でも…だ。

顕彰馬投票、

あの馬は通ると思っていたから投票しなかったけど結果が出てみたら通ってなかった。
じゃあ次の年は投票するようにしよう!

こういうパターン、多くね?

「繰り上がり」みたいに馬が選ばれていくのも、
「投票が割れてどちらも選ばれない」が続くのも、ちょっと不自然すぎる。

これは個々の価値観の問題とかではないわけで、
やっぱシステムの問題なんじゃないの?

システムじゃなく投票者の問題だって人もいるけど、システムの問題だ。
多種多様な考えの人がいても、ちゃんと成立するのがいいシステムだろう。
システムの側にあわせて人間が考えを画一的にそろえるべきだってのはおかしい。

まあこれは、そもそも顕彰馬というもの自体がふわっふわしてるからなんだろうけど。
JRA賞とかだと、基本的に1部門1頭選ぶようになっている。
つまり少数派にどれだけ多様な考えの持ち主がいても、マジョリティの投票によって表彰が決まり、それ以外は死票になる。
ところが、得票率を基準とする場合はそうはならない。

この「そうはならない」を「望ましい」と思っているのか「望ましくない」と思っているのかすら、ふわふわしてるよね?
だからこうなる。

俺の考える選ぶべき馬を選ばない記者を吊るせ!みたいにヒステリックにくだらないわめき方をするのではなく、
冷静にシステムとしてどうなのかを論じることこそが重要
なことだ。
ただ単にうるさいバカのせいで、それができなくなっている。