袴田巌さんの死刑確定の再審による無罪確定事件にみる検察庁の闇
袴田巌さんは1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で刑事裁判にかけられて1980年に死刑判決が言い渡されたが、検察の有罪認定のための証拠があまりにも不自然なものばかりで、ようやく2014年に静岡地方裁判所が再審の裁判を受け入れ、「有罪の根拠として提出された証拠は捏造されたものだ」として無罪の判決を2024年9月26日に言い渡した。
これに対して、検察庁は控訴するかの検討を続けていたが、2024年10月8日に控訴しないことを明らかにしたことで、袴田巌さんの無罪が確定することとなった。
検察庁から発表された検事総長談話では、「証拠が捏造されたと静岡地方裁判所が断定したことについて、『証拠が捏造されたという何ら具体的な証拠や根拠は示されておらず、強い不満を抱かざるを得ない』としつつも、司法判断がまちまちになったことなどによって袴田巌さんが相当な長期間に渡って法的地位が不安定な状況に置かれていたことについて、検察としても申し訳なく思っている」と発表された。
この談話が示す内容について解説する。
今回の控訴をしないことを決定した検事総長が発表した内容は以下の通りだ。
袴田さんは1966年当時30歳の時に逮捕・勾留され、それから88歳の58年間、人身の自由を奪われたこととなる。
通常、最も長く拘束される無期懲役でさえ、30年から35年までとなっている。
それから考えると、58年間も拘束された袴田さんは事実上、無期懲役以上の刑に処せられたのと同じ状況である。
このことから、袴田さんは無罪を言い渡されたとはいえ、実際には無期懲役以上の刑に処せられたのと同じなのである。
無罪である人を30歳から88歳までの58年間を拘束して人生を奪ったにもかかわらず、検事総長は「結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。・・・最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。」と、まるで他人事のように語っており、謝罪の意は全くないことがわかる。
そもそも、袴田事件の問題の根幹は静岡地方裁判所の裁判長が判決として下した通り、明らかに検察が証拠を捏造して無罪の袴田さんを死刑囚へと組織的に仕立て上げたことである。
静岡地方裁判所の國井裁判長は「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」と言葉を詰まらせながら法廷で袴田さんらに謝罪をしている。
日本の司法制度が冤罪を生み、無実の罪で人生を棒に振らされた人に対して、心から謝罪を表明するのが当然であるが、実際に謝罪を行った静岡地方裁判所の國井裁判長に対して、検事総長の畝本直美は袴田さんに対して一切謝罪を行っていない。
畝本直美検事総長談話では、袴田さんを有罪とした証拠は全て捏造されたことが裁判上で証明された上で裁判所がそれを認めたにも関わらず、検事総長はそれを一切認めておらず、まともな反論を裁判上でできなかったにも関わらず、裁判所の判断を不服だと表明している。
つまり、不当なほどに検察側に贔屓をする裁判所でさえ、検察側を味方することができないほどのお粗末な捏造証拠を指摘されたにもかかわらず、検察は一切、組織的な不正を認めていないばかりか、袴田さんに一切の謝罪をしていないのだ。
日本の刑事事件は刑事起訴されれば、99%以上の確率で有罪が確定されてしまう。
逆に言うと、確実に有罪にできそうにない事件は起訴さえされず、被害者は泣き寝入りをするのが現状である。
さらに、一旦起訴すると、証拠を捏造したり、被疑者に虚偽の自白をさせてでも有罪にもっていくことで、検察組織のプライドを保っている。
アメリカの刑事事件は刑事起訴されても、50%の確率で有罪とはならず、無罪となる。
これにより、日本より緩やかな基準で刑事起訴が行われて裁判所での争いが繰り広げられるため、日本よりも被害者が泣き寝入りする可能性が低い(ただし、近年のアメリカでは意図的に犯罪を作り出される政策が行われている地域では、多くの被害者が泣き寝入りしているが、日本とは異なる事情である)。
つまり、日本の検察は被害者にも冤罪加害者にも冷たい組織であり、検察という組織のためにある組織なのである。
しかも、近年では検察は官房長官個人や検察組織そのものが政敵とみなした者を無理やり逮捕拘束し、有罪に仕立て上げる事件が増加している。
検察という組織の闇は深い。
袴田巌さんの事件は検察の闇の一面を国民にさらけ出したのであり、袴田巌さんは国民にそれを知らしめるために戦ってくれたのである。