「グローバル」という言葉は「国際」とは全く意味が違うことを理解しているか?

共産主義者はプロパガンダを流すのが上手い。
様々な言葉を「人々の常識」にさせてじわじわと人々の思考回路をむしばんでいく。
「気候変動リスク」という謎の言葉も、その言葉を繰り返すことで、「本当に気候変動が起こっているのか」「そもそも気候変動はリスクなのか」を議論させることもなく、とにかく「気候変動リスクに取り組まない者は悪だ!」といったような運動を起こす。

最も人々が気付いていないプロパガンダが「グローバル」という言葉だろう。

例えば、われわれ日本人が海外で仕事をするとき、通常であれば「海外ビジネス」や「国外ビジネス」、「外国ビジネス」といったような言葉が通常は使われるべきであり、それらの言葉は「日本ではない国での取引」といったニュアンスで使用される。
この言葉が使われる意図としては、「日本において日本人と取引するのとは異なり、海外/外国では法律も異なる、文化も異なるということを念頭に入れてビジネスをしなければならない」といったことが背景にある。

しかし、このような会話をする際、近年「グローバル」という言葉が使われるようになった。
つまり、自国だけでは完結せず、他国もかかわる場合、これまでは「国際」とか、「国際的」という言葉が使われていたにも関わらず、「グローバル」という言葉が使われるようになった。
これは正に、グローバリストたちが「グローバル」という言葉の使用を広めたからだ。

では、「グローバル」と「国際」という言葉の違いは何か。

「国際」というのは、国家間の文化の違いなどをそのままに、異文化同士で交流することを念頭に置いている。
つまり、「国際」と言った場合には、異なる国同士の付き合いといったニュアンスがあるため、「お互いに文化や伝統、国の事情などの違いがあるので、それを前提に上手くお付き合いをしていきましょう」という意味が込められている。

それに対して、「グローバル」というのは地球全体で一つという意味だ。
つまり、世界のどこでも一つのルール、一つの価値観で通すという意味がある。
正に、グローバリストが目指す、「世界は一つ」「ワンワールドオーダー」「世界統一政府」というものが根底にある。

「国際的企業」と「グローバル企業」とでは意味が全く異なる。
「国際的企業」の場合は、世界の様々な国で活躍している企業であり、それぞれの国のそれぞれの文化や事情を考慮して活躍する企業の事である。
それに対して、「グローバル企業」と言った場合には、世界を一つの市場とみなし、世界で同じルールを適用するため、自然と強者であるグローバル企業が弱小国の市場をむしばむことも厭わないというものだ。

言葉には意味があり、言霊が込められている。
「国際」という言葉には異文化を尊重する言霊が込められている。
その一方で、「グローバル」という言葉には異文化の存在を否定して踏みつぶす意思が込められているということを知っておこう。

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KAZU@AQUOIBONISTE
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