今話題の佐々木恭子アナウンサーをあなたはどう評価するか?(中居正広の女性問題)

2024年12月頃より、中居正広の女性トラブルを原因とした問題が話題となっている。
詳細は未だに明らかになっていないようだが、多くのメディア、特にテレビ局は中居正広の問題を明らかに隠蔽しようとしている様子が見て取れるのが興味深い。


そんな中で、中居正広が9000万円という法外な慰謝料を支払った相手がフジテレビの元女性アナウンサーであった渡邊渚ではないかと報じられると同時に、渡邊渚に追い打ちをかけたのが渡邊渚の上司であった佐々木恭子アナウンサーであったのではないかと報じられている。
この両者が中居正広が9000万円を支払ったという問題の関係者であることが濃厚であるという話を基準とすると、「渡邊渚は中居正広から甚大な性被害を受け、その事実を渡邊渚が自身の上司である佐々木恭子に相談したところ、佐々木恭子はこれを揉み消した」ということのようである。

2025年1月8日現在、中居正広に対して渡邊渚アナウンサーを性奴隷としてあてがった人物は芸能人ではないために名前が伏せられているために表立って攻撃をされていないが、アナウンサーとして芸能人のように表に出る人間として、アナウンサーであり渡邊渚の上司であった佐々木恭子に対して非難が集まっている。

名前と顔を晒して活動をする佐々木恭子は世間の批判を真正面から受ける一方で、中居正広に膨大な数の女性を性奴隷として中居正広にあっせんしてきた者は「A氏」などと素性が隠されて守られているのは不公平だ。

現在、佐々木恭子は中居正広の共犯者との批判までをも受けている。
その詳細を状況証拠から言われていることを基準として分析すれば、佐々木恭子は性被害者である渡邊渚の上司であると共に、渡邊渚の性被害の事実を渡邊渚本人から相談されたにも関わらず、これを揉み消した張本人であるということである。
では、この事実を元にした場合、佐々木恭子はいかなる批判を受けるべきであろうか?

筆者が様々な記事を通じて批判する社会構造の中の、ある典型的な位置づけにあるのが佐々木恭子である。
それは主犯となる不正に関与したわけではないが、それを阻止しようとしたわけではなく、主犯者たちの行動を受動的に容認して助長させた。
例えるなら、目の前で人殺しをしようとする者がいるにも関わらず、それを止めることなく傍観したというようなものである。

この「止められる立場にあったにもかかわらず止めなかった人」に対する評価は大変難しく、法律的には裁かれることはほとんどなく、倫理的には批判されることが多い立場である。
一般的な日本社会は、このような立場にある者たちの多くは、いわゆる、見て見ぬふりをする。
パワハラやセクハラの被害者をかばう行動を取った者は、組織に逆恨みされて左遷されたりクビにされたりする危険性がある一方で、かばったからといって人権や身分を保障されたりすることはほとんどない。
つまり、「かばっただけ損をする」ような状態になっている。
だからこそ、多くの人は、佐々木恭子のような立場になったときには、「見て見ぬふり」をするのである。

このような状況の中で、果たしてどれだけの人が、佐々木恭子の立場に置かれた時に、組織の上層部を批難しながら渡邊渚を守ることに全力を尽くせるだろうか?
仮にそのような行動を取った場合、組織をクビにされたり左遷されるのがオチだろう。

現代の多くの日本人は大多数の者が問題に直面しても見て見ぬふりをして、例え被害者がいても見殺しにしている。
新型コロナ騒動のときに、自己満足的な正義感によるマスク警察やワクチン警察が他者に対してマスクやワクチンを強制するということを通じて平気で人権侵害を行っていった。
それに対して、「強制することは人権侵害だ」とか、「強制することは間違っている」という行動を取った者は皆無に等しかった。
筆者はそのような行動を取ったのだが、見事なまでに村八分的な扱いを受け続けた。

先の佐々木恭子の例で言えば、佐々木恭子自身の職を失う覚悟をした上でフジテレビの上層部に対して上層部を批判した上で渡邊渚を守るということをすれば、当然にフジテレビという組織から村八分的な扱いを受ける可能性が非常に高くなるわけだが、それを恐れずに渡邊渚を守るための勇気ある行動が出来たのかということだ。
今の日本人にそのような行動がとれる人間は皆無に等しいと筆者は断言できる。

中居正広の女性問題において佐々木恭子を批判することが間違っているとは言わない。
だが、佐々木恭子を批判するのであれば、上記の説明のように、自らの社会的地位や現在の職を失う覚悟で渡邊渚を守るという行動があなたに取れたのか?ということを自らに問うてほしい。
実際にはほとんどの現代人は佐々木恭子と同じような行動を取っている者たちばかりであり、佐々木恭子を批難する資格がある者はほとんどいないのが現状なのである。

佐々木恭子とは異なり、自らの地位や安全をかえりみずに渡邊渚を守ろうとする侍のような勇気を多くの日本人が持つことが出来るようになれば、筆者が日頃指摘しているような、あらゆる社会問題を国民全体で変えていける力となると、筆者は心から信じている。


いいなと思ったら応援しよう!

KAZU@AQUOIBONISTE
宜しければ応援をお願いします!頂きましたチップは調査・分析等の活動費に使わせていただきます!